本日記は、2008年度、苫小牧青年会議所設立55周年を記念して企画いたしました。

 2008年度の基本方針にある、「人とのつながり」という言葉、そして、理事長方針にある、「古きを温ね、新しきを知る」という温故知新の精神をもってJC活動をしていきたいという願いが込められています。OB諸氏の皆様方に青年会議所への思いを熱く語っていただくきます。

 本日記はリレー形式で、OB会長の柏木先輩からはじまり、次の投稿者をご紹介いただきリレーしていきます。
メンバーの皆様、先輩達からのメッセージを胸にJC活動に邁進していきましょう !!

2008年06月30日

OB徒然日記 第4号

平成20年6月25日

OB徒然日記
1972年卒業 岡部 照一

 苫小牧青年会議所 創立55周年おめでとうございます。
 人口173,000人を有し、全道の中で5番目に大きな町、苫小牧市。港があり、空港があり、札幌に近い、たいへん恵まれた地域苫小牧ですが、中心市街地の空洞化が進んでおります。

 一昔前、苫小牧で大型店と言えば、生協、農協、鶴丸百貨店といったところでしたが、1973年10月27日に木場町に長崎屋苫小牧店がオープン致しました。ちょうどその1年前、長崎屋が木場町に造るショッピング センターがあると言うので青年会議所同志 岩倉光博さんとアラスカのアンカレッジに見に行きました。その時、第33代理事長 岩倉博文さんがアラスカアンカレッジの大学生で留学していたと思います。

 その後1975年、一条銀座アーケード建設一期が落成しています。その時の苫小牧の一条通りは大変な人の流れで、そんな時、苫東計画が発表され、国家プロジェクトで間違いなく苫小牧は人口30万人の大都市になると言われていました。また、元より、Jベルト地帯の新産業都市として、国家プロジェクト、公害も来るけれど発展することは間違いないと、職住分離で、生活は西、職場は東と決めたのです。それが全国にも発表になりましたから1976年、昭和51年12月25日、商調協が大型店問題で結審し、昭和52年11月1日 サンプラザ(17500u)が開店、その後、昭和53年5月1日 イトーヨーカドー(13500u)が開店いたしました。商工会議所が苫小牧の繁華街の人の流れの変化、通行量調査をした結果、1975年一番人通りが多かったトピア前では、1日1万人強の歩行者がいました。それが16年後には五分の一の2,000人です。それも今では歩行者はもっともっと少なくなりました。一方16年後、一番人通りが多い場所になった駅前の「ミスタードーナッツ」の前でも8,000人しかいません。どうも街づくりが悪かったと思います。

 1977年、日本商工会議所の商業近代化実施計画策定地域に苫小牧が正式決定致しました。1977年6月11日、苫小牧市が駅前に市営バスターミナル476の駐車場を併設したビルの建設を発表、それを受け、苫小牧の商業近代化実施計画を担当する委員長 石原舜介 東工大教授が、市のバスターミナル計画を強く批判「実施計画から降りる」と爆弾発言。地元デパート近くに建設すべきと言って辞任しました。1978年2月24日、商工会議所が大型店凍結宣言をし、人口おおむね20万人に達するまで大型店の新規出店を認めないと決定しました。1978年3月24日、商工会議所が大型店凍結宣言について市内の消費者、5団体に説明しました。

 1978年6月25日、錦町地区再開発期成会の設立総会、手を打ち始めたときはすでに手遅れに。この結果、繁華街だった錦町の一条銀座通りは、大町側3丁目あたりから物販ではやれないので、店を改造して貸店舗に。それが利用されない空店舗になり、辛うじて一丁目の店舗群が残っています。

 激しく揺れている街づくり、中心市街対策の政策的意義とは、中心市街地は長い歴史の中で地域の文化や伝統を育て各種の機能を培ってきた「街の顔」であり、その空洞化は「コミュニティーの危機」です。それが今の現状です。

 私達のJC時代1970年前後は世界の人口は35億人でした。今の世界人口は65億人。若いJCの皆さんが活躍される30年後、おそらく世界の人口が90億人になるはずです。地球の温暖化ひとつとっても大変な問題です。

 苫小牧青年会議所の皆さん、好きトマ精神とその運動で街は1日で出来上がるものではなく、永い目で青年会議所運動の中で街をつくっていって下さい。

次の紹介者:石田 貢先輩です。


【事務局より】
 岡部先輩ありがとうございました、中心市街地について我々青年会議所でもっと積極的に取り組まないといけないですね。今後の取り組みの中で是非検討していかなければいけないと思いました。

 次は岡部先輩からご紹介いただきました石田 貢先輩です。お楽しみに!!

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2008年06月13日

OB徒然日記 第3号

平成20年6月11日

OB徒然日記
1969年卒業 蔵本 昌明

 設立55周年を迎えるとの事、私現役時より55年たった事に成るわけですね。誠に隔世の感、心よりお祝い申し上げます。
 早速ですが私現役当時の出来事を申上げますと、皆様噂でご存知かと存じますが、JC認証されて間もない頃、例会にお酒が出て驚いたことがありました。これは友情を深めるための事だった様です。
 この頃会員直接の事業が少なく、各種選挙後の張り紙などを取払う仕事などを行っていました。その後現在の港まつりの前身“観光祭り”がありまして、JCが先頭を切って行っていました。その後西港の掘込みが進み、観光祭りが“港まつり”に変わったわけです。その後の港まつりもJCが主導しながら行ってまいったしだいです。
 私の理事長時代ですが、スケートまつりが始まり、いろいろな手伝いも行っておりました。ある日の理事会の折、商工会議所よりドラム缶の上で肉を焼く名称を考えてくれと依頼され、理事全員で考えた所、岡部照一君が、“シバレ焼”の名はいかがと、全員賛成、商工会議所に伝えたわけです。この名称の名付け人は岡部君であることに間違いありません。
 成田先輩の頃より「経済人交流の夕べ」と云う催しを行ってまいりましたが、私の時も同じ会合を行い、JCメンバーと市内次代の経営者との交流、これは本当に有意義な一夕でした。JCメンバーに入ってもらう一面もありましたが?
 私共の現役時まだまだ事業その他のことがありましたが、少々年で忘れていることもありますがお許し下さい。
現役の皆様、今度は60年、70年に向かって御健闘をお祈り致します。


次の紹介者:岡部 照一 先輩です。

【事務局より】
 蔵本先輩、現在も続く苫小牧を代表する港まつり、スケートまつりの話等、身近に感じられるお話ありがとうございました。
次は蔵本先輩からご紹介いただきました岡部照一先輩です。お楽しみに!!

posted by OB日記 at 08:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月29日

OB徒然日記 第2号

平成20年5月28日

OB徒然日記
〜苫小牧青年会議所 設立55周年に寄せて〜
1965年卒業 成田 繁

 青年会議所の皆さん、創立55周年おめでとうございます。
 私は、今年齢83歳となり、振り返ると多くの先輩達は、すでになく、後輩達でさえ、ずいぶんと少なくなっております。なにか自分だけ取り残されたような、寂寞とした思いでおりますが、今年の理事長方針のひとつが、『温故知新』、私にも忘れかけていた思い出を述べるように、とのことですので、昔の記憶をたぐり、少しお話させていただきます。
 私が青年会議所に入会したのは、昭和31年、この年は本町の旧公民館で、全道大会が開催されたのをよく覚えております。
 昭和34年、朝倉次郎理事長の目玉事業は、『僻地教育振興運動』でした。当時の豊糠は雨が降ったら、ジープでなければ通れないようなところでしたが、メンバーの医師が、眼科や歯科の検診をし、NHKから借りてきた16mm映画の上映会や、子供達をジープに乗せ、グラウンドを廻るなどのイベントに、村中の人が集まり、大変喜んでもらったのを、半世紀たった今でも、よく覚えております。
 昭和35年の加藤悟理事長は、大変真面目な方で、若いメンバーが羽目をはずすと、“妻以外の女性と関係するものではない!”と説教をし、登別温泉でのセミナーでは、加藤さんとの討論が白熱し、気がつくと朝になっていたこともありました。若い日の活動への情熱や、元気を懐かしく思い出します。
 私が理事長に就任したのは、昭和36年。福原周一先輩が理事長になる予定でしたが、勤務先の三星の小林正俊社長が、社業に専念するためにと、一切の公職を辞退したため、専務の自分が理事長を受けることはできない、と固辞され、やむなく私に順番が廻ってきました。
 理事長になって初めての対外的な初仕事が、当時『金のたまご』と言われた中学卒業生の就職者激励大会でした。錦町にあった劇場遊楽館で、300名近くの中学卒業生を集め、激励の挨拶をしたことは、理事長になりたての私にとって、大変貴重な経験となりました。
 また、奉仕活動の資金集めのため、クラブを貸し切り、飲み物を寄贈してもらい、『経済人交流の夕べ』なるものを開催。当時としては珍しい<立食パーティ>の企画でしたが、年寄りからは“疲れる!”との苦情も多々ありましたが、この年になって、初めて“なるほどなあ”と、よくわかるようになっております。
 青年会議所の在籍は10年間でしたが、その間の経験と、多くの出逢い、人とのつながりは、その後も私の人生にとって、大きな財産となりました。
人生は長いようでも、時間はあっと言う間です。現役メンバーの皆さんが、これからも青年会議所を、自己研鑽の場、地域社会奉仕活動の場として、若い力を結集し、今しかできない、有意義な時間を過ごされますことを、遠い昔の先輩の一人として、期待しております。


次回徒然日記紹介:蔵本昌明 先輩です。


【事務局より】
 成田先輩、当時の時代背景も手に取るようにわかる貴重なお話しありがとうございました。
 次は成田先輩からご紹介いただきました蔵本昌明先輩です。お楽しみに!!

posted by OB日記 at 16:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月13日

OB徒然日記 第1号

平成20年5月6日
1984年卒業 柏木 重則

 本年、苫小牧青年会議所設立55周年の記念すべき年を迎えられました事、衷心よりお祝い申し上げます。

 私は苫小牧青年会議所に10年間在籍させて頂き、色々な事業活動を通して、決してお金では買えない良い仲間にめぐり合い、沢山の勉強をさせて頂き、その後の人生に大いに役立たせて頂いております。

 多くの事業の中で特に記憶に残る失敗事業がありました。それは苫小牧港祭りに参画した時の事です。祭り広場で無料のチビッ子金魚すくい大会を開催しましたが、初日開店と同時に裏稼業の人達6名に囲まれ、営業妨害だから即刻中止しろと強く攻め立てられました。私としては今までこの準備の為に努力してきたメンバーの事も考え、また若い正義感から強力に抵抗し、一発触発の状況になり、周りにいたメンバーから制止がかかり、止む無く中止したと言う事がありました。

 また多くの事業活動を通して学ばせて頂いた中で二つの大きな事があります。

 一つ目は、全く利害関係のないJC仲間は勿論の事、その他の団体においても同様、その中で指導力を発揮するには、普段から真面目にこつこつと活動する事がいざと言う時に、非常に役立つと言う事を気付かせていただきました。

 二つ目は、メンバーが各事業に積極的に参加するか、しないかは、各自がJCの綱領やスローガン達成に向かって、本音を捨ててどれだけ努力出来るかにかかっているのではと考えておりました。そんな事から当事、私なりには、JCでの修練とは、建て前に本音を最大限に近づける訓練だと理解させて頂きました。

 この考え方はその後の人生においても変わらず、現在は楽しい日暮しの出来る、住みよい世の中づくりの仲間に入れて頂き、神仏の教えを日々の生活で正しく実践して、菩薩に近づける様に努力中です。一生の課題として頑張ります。
 最後になりましたが、現役メンバーにおかれましては、高橋理事長の下、一致団結して、実り多い55周年の年になります様、益々のご活躍をご祈念申し上げ私の徒然日記とさせて頂きます。


次回徒然日記紹介:成田 繁先輩



【事務局より】

 柏木OB会長ありがとうございました。私たちの知らない当時のお話し、もっと聞きたいです。また機会がありましたらゆっくりお聞かせ下さい。
 
 それでは次回は柏木OB会長よりご紹介いただいた成田 繁先輩となります。ご期待ください!!
posted by OB日記 at 12:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする