本日記は、2008年度、苫小牧青年会議所設立55周年を記念して企画いたしました。

 2008年度の基本方針にある、「人とのつながり」という言葉、そして、理事長方針にある、「古きを温ね、新しきを知る」という温故知新の精神をもってJC活動をしていきたいという願いが込められています。OB諸氏の皆様方に青年会議所への思いを熱く語っていただくきます。

 本日記はリレー形式で、OB会長の柏木先輩からはじまり、次の投稿者をご紹介いただきリレーしていきます。
メンバーの皆様、先輩達からのメッセージを胸にJC活動に邁進していきましょう !!

2009年06月29日

OB徒然日記 第13号

OB徒然日記 第13号

1990年卒業  上宮 敏満

 1985年に入会し、6年間在籍させていただきました。同期の卒業は16名でしたが同じ年齢の皆さんは、もうすでにLOM内で活躍されていた方が多く、入会した年度は同期卒業の岩倉博文市長が理事長のときでした。
 委員会は広報や事務局などの総務系が多く、写真を残すためにということもあり、機会があるごとにできるだけ出席させていただきました。
 忘れられない事といえば、帯広にて全道大会があったときのこと。
車で行ったのですが熱があり、お腹もだんだん痛くなってきたので帯広駅の近くの病院へ
駆け込んだところ、たまたま院長先生がJCのOBということで快く診察していただき、そのうえ一晩入院させてもらって、結局大会には参加できずに帰ってきました。
 JCのつながりの広さを感じる出来事でした。
 現役メンバーの皆さんもそうだと思いますが、私も何も分からず入会しましたので、最初の1、2年は言われるままに呼ばれたところへ顔を出していただけのような気がしています。この参加するということがまずは大事なこと、と先輩達から言われ、また仕事を与えられたら一生懸命やりなさい、周りの人たちは必ずそれを見ているから、そしてきっとそれが仕事にもつながっていくからと教えられました 。
 まさしく私の顧客の三分の一はこのとき知り合った方達とそのご紹介者が占めています。又このときに出逢った方々、一緒に活動した仲間に教えられ、鍛えられたことが自分の財産になっています。現役メンバーの皆さんもそう思えるときが必ず来ると思います、
今しかできない活動ですので、精一杯やってみるとJCは面白いのではないのでしょうか。


上宮先輩、お忙しいなかご感想ありがとうございました。初めて知り合った人がJCのOBというだけで、すぐに親しくなれるという事はすばらしいと感じました。そしてJCでの経験が人生の財産になるという事もすばらしいですね。

次回は、上宮先輩よりご紹介を頂いた熊谷卓先輩です。お楽しみに!!

posted by OB日記 at 08:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

OB徒然日記 第12号

1989年卒業 渋谷 政義

 何も判らずに、1981年前期に入会させて頂き、1989年の卒業まで9年間お世話になりました。主に教育や広報、渉外、総務委員会に所属してJC活動をしておりました。
 私の勤めている会社事務所が事務局の近くにある関係で、もっぱら昼休みに顔を出していたように思います。入会当時は自分も含めて、サラリーマン会員が徐々に多くなっておりました。それに加えてLOMメンバーも増えてきた様に記憶しております。
 私はブロックや地区協議等の出向はありませんでしたが、例会等LOM内での報告で、色々な先輩やメンバーの方々が活動されている様子を知る度に頼もしく感じておりました。
 今思い返しても色々な思い出がたくさんあります。中でも忘れ難いのが、毎年恒例で青少年委員会が催していた「八戸JCと苫小牧JCの子供達のキャンプ交流会」でのある年の出来事です。厚真ダムの奥地で夜通し騒いで交流を深めておりましたところ、次の朝、メンバーの車が田んぼに裏返しになって落ちていました。そうとも気づかずに騒いでいた時のテンションを思い出し、笑うに笑えぬ状況が今でも鮮明に思い起こされます。
 おかげさまで各地へ出掛けて見聞を広め、また美味しい名産を食べ、そして個性豊かな仲間達と交流をしたりと、忘れることの出来ない有意義で充実した9年間を過ごす事が出来ました。卒業して19年になりますが、今でもJC活動を通して知り合えたかけがえのない仲間達とお付き合いをさせて頂いております。
現役の皆さん、JC活動を通して学んだ経験と仲間達との友情と信頼を大切にするとともに、培ったオピニオンリーダーとしてのノウハウを自分の職場や地域社会で存分に活かされることを切に願います。

渋谷先輩、お忙しいなかご感想ありがとうございました。田んぼで裏返しの車は他人にとっては笑い事かもしれませんが、本人にとっては一生忘れない悲しみであったと思います。お気の毒でした。
19年経ってもJCの時からの仲間と交流があるというのは素晴らしい財産でもあると思います。自分も仲間という財産をたくさん欲しいと思っています。これからも頑張っていこうという気持ちにさせて頂きました。貴重なご感想ほんとうにありがとうございました!!

次回は、渋谷先輩よりご紹介を頂いた上宮敏満先輩です。お楽しみに!!
posted by OB日記 at 11:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

OB徒然日記 第11号

1990年卒業 志方 晴樹

 1980年入会して1990年卒業の10年間苫小牧JCに在籍しておりました。時代はバブル期であった事もあり派手な活動期であったように思います。
卒業同期の岩倉博文(現苫小牧市長)さんの活躍は大変素晴らしいものでした。彼を日本JCの副会頭になって活躍していただく為に、彼はもちろん先輩達の努力、メンバーのサポートはそれはとてもとても輝いておりました。苫小牧JC理事長、ブロック会長、地区協議会長、日本JC副会頭と活動範囲がどんどん大きくなり、そばで見ていても毎日大きくなっていくのが目に見えておりました。それはLOMメンバーに勇気と元気を与えてくれたと思っております。
 私自身はLOMで広報委員が何年か続いたので自分の修練ではないと次年は他の委員会でなければ退会をしますと云った事もありました。またブロックや地区協議に出向させて頂き道内に広い人脈もできました。今も楽しい付き合いをしている仲間が多数おります。
 地区協議出向(地区大会特別委員会?)では根室大会担当委員で根室に4回、網走に3回車で走り会議、懇親会で朝帰り若くて元気だったと思う。しかし大会そのものは色々悪評でした。大会、懇親会でのハプニングやLOMメンバーがバスで多数参加してくれたのに良い宿泊先が確保できず皆に迷惑をかけた事などいろいろ思い出されます。
 当時の日本JCの運動では平和で豊かな社会、地域の発展、リーダーの育成が理念であり、目標であったいろいろな面で目標に沿った活動ができたと思っております。
 JC活動は40歳までと期限があったので頑張れたと思ったり、人生は終りが見えないのに毎日をずるずる送っていると反省したりの今日このごろです。現役の皆さんは楽しい喜びのあるJC活動をして卒業をしてからはOB会で楽しい思い出話をして一杯飲みましょう。
楽しい思い出をありがとうございます。


 志方先輩、貴重なご感想ありがとうございました。バブル期であった当時の活気が伝わってきました。現在は不景気で大変な時代ですが、不景気だからこそ先輩方の活気に負けないように頑張っていかなければと思いました。
次回は、志方先輩よりご紹介を頂いた渋谷政義先輩です。お楽しみに!!
posted by OB日記 at 08:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月09日

OB徒然日記 第10号

OB徒然日記

1988年卒業 小保方 伸一

「JCの思い出」

 JCを卒業してから、早いものでいつの間にか20年の歳月が過ぎました。JCには30歳になる昭和53年の後期に入会し、昭和63年に卒業しました。10年7ヶ月間在籍していたことになります。当時を振り返ってみると、さまざまなことが懐かしく思い出されます。

 入会して最初に配属されたのが青少年開発委員会で、委員長は樽前山神社の猪股さんでした。猪股さんとは、その後に出会った多くのJCメンバーともそうであるように、現在も親交が続いています。昭和53年は苫小牧で地区会員大会が開催された年で、通例の7月入会が1ヶ月繰り上げての6月入会になりました。入会したのが大会を目前にして最終準備に大わらわだった時期だけに、所属している青少年開発委員会の本来の事業はもとより、大会実行委員会の組織やその中での役割もよく分からず、やっと自分の所属する委員会のメンバーの顔が分かった位で、何がなんだか分からない状態で地区大会を経験しました。この年の夏、青少年開発委員会は千葉からのサマーキャンプ(このときは宿舎に泊まりテントではありません)の第一回目の受け入れを手伝いました。

 右も左も分からない中でのスタートでしたが、次第にJC活動にも慣れていきLOMの役員や、道南ブロック、地区協、日本JCへの出向も経験させてもらいました。地元苫小牧はもとより、全国各地から集まったメンバーと一緒に活動する機会を与えられたのは得がたい体験でした。

 いろいろなことを経験させてもらいましたが、なかでも印象に残っているのが、日本JCの「JC青年の船特別委員会」に出向させてもらったことです。
1982年6月に出港した「第12回日本JC青年の船」は新さくら丸(商船三井 13,082トン)をチャーターして、JCメンバーと外国人を含む一般団員の総勢約400名が、神戸港から台湾の基隆港を経由して香港に行き、帰りは沖縄を経由して神戸港に戻る2週間ほどの船旅でした。この船には苫小牧からも2名の女性が一般団員として参加しています。航海中は充実した講師陣(舛添要一現厚労相、国際政治学者のマイク望月氏、世界初の単独太平洋横断の堀江謙一氏など大勢)による研修や各グループによる演劇発表会そして船上パーティー(船長主催、委員長主催、etc )など目白押しのプログラムで大忙しでした。船内にはJCメンバーと団員の熱気に溢れ、発表会の準備などで、まるで毎日が学校祭か学園祭の準備のため合宿をしているよう雰囲気でした。各寄港地には2〜3日間ほど停泊し、昼間は寄港地のJCの協力を得て見学や研修を行い、またホームホスピタリティーを通じて現地の人々との交流を深め、夜間は船に戻り宿泊すると云う日々でした。
船が神戸に戻っても、まだ事業の終わりではありません。各地のLOMに海外からの団員をホームステイで受け入れてもらい、日本の生活を体験してもらうプログラムが残っています。このプログラムには苫小牧JCも参加し、韓国JCの事務局員の女性と台湾のジャーナリスト志望女性の2名が苫小牧に来て、ホームステイ先には苫小牧から参加した2名の団員のお宅にお願いをしました。
この委員会での最後の仕事は、11月に韓国ソウルで開かれたJCIの世界大会に参加することでした。「日本JC青年の船」の事業がJCIの褒賞にエントリーしていたので、大会会場で事業のPR活動をしなくてはいけなかったからです。懸命のPR活動でしたが、残念ながら褒賞はダメでした。

 この文章を書いているうちに、忘れてしまっていた20年以上も前のJCの現役時代のことが生き生きと思い出されてきました。「当時、よくその様にハードなJC活動をこなす時間と体力があったなあ。」と感心しています。
最後になりましたが、JC時代のことを懐かしく思い出す機会を作ってくれた現役メンバーに感謝いたします。


次のご紹介者は、志方晴樹先輩です

【事務局より】
小保方先輩、貴重なご感想ありがとうございました。当時のJC活動の大変さが伝わってきました。現役メンバーも先輩方に負けないように頑張っていかなければと思いました。
次回は、小保方先輩よりご紹介を頂いた志田晴樹先輩です。お楽しみに!!
posted by OB日記 at 11:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月15日

OB徒然日記 第9号

OB徒然日記

1986年卒業 大津山 峻

依頼された「人とのつながり・温故知新」と云う意味からいえば…….
私の過ごした86年度は数ある思い出の中から163名の100%例会を挙げたいと思いますね。
この最も内容の無い単純な、只集まろうと云うだけの例会は1986年9月3日・会員開発委員会が担当、委員長は紺野悟君、そして見事達成したのです。

この事業計画が浮上した時から、この大所帯この大人数で出来る訳ないし、不可能と誰しもが思い、まぁ、御題目として載せておくのなら良かろう程度の感覚でありました。
私も内心出来っこ無いな、との想いながらも、が、しかし理事長として「絶対に達成する」と豪語してしまい、委員長には大変なプレッシャーをお掛けしてしまいました。

年初より各委員会には自分の委員会メンバーにこの日の事を常に取り上げてもらい、我が委員会の未達がLOM創立33年目の歴史に汚点を残してはならない、と随分ご協力頂いたものです。
しかしながら、夏が過ぎる頃から、とても不可能だと事業に対する疑心暗鬼、焦燥感が漂い、ただ単に集まることに何の意義が有るのかと、嫌な雲行きに成ってまいりました。

紺野君は全会員に何度もメール(今様のメールではない)を送り、とにかく当日ニュー王子の会場に直進することを呼びかけ、個々人の予定チェックをスタッフ総動員で行い、一人ひとり虱潰しに出欠の確認を行っていったのです。
熱意は伝わっていくものです、LOM全体が段々と熱を帯びて来るのを感じました。
でも、メンバー163名には各々163のストーリが隠されており、遠隔地への出張があったり、痔の手術で入院中もあり、スリーピングで連絡不能など、あぁ、やっぱり駄目かと、絶望視したりで、それはそれは大変でございました。

JC運動とは何なのか?
それは、どんなに高邁な理念であろうと、どんなに素晴らしい事業であろうと、
「志を同じうする者」がとにかく相集い一堂に会さねば何一つ為されない、同志の結束から始まるものであり、スタートのスタートは先ずもって参加することにあるのだと強く感じた年でした。

当日は会場に専用電話を引き込んだり、8時のタイムリミットまでのカウントダウンをアナウンスしたりで、ひたすら時間の経過を見守るだけの例会でした。
テーブルは15の委員会別とプラス・ワンに設置され、随時100%を達成したテーブルからは歓声が上がっていました。
九州へ出張中のメンバーは宮崎JC例会場へ駆け込み私と宮崎JC理事長が電話でコンファメーションを行ない、入院中のメンバーはその所属委員会連中がなんと担架で病院から拉致した。
タイムリミットまで残り15分と成った頃、紺野委員長からあと一名、たった一名が未だ参上つかまつりませぬ、との報告があり、全員水を打ったように沈黙し会場入り口に視線を注ぎひたすら待ち続けたのです。
ついに残り時間があと5〜6分となりやっぱり駄目かと皆あきらめ掛けたその時、入り口のドアが開き彼(誰とは申し上げません)が入場してきたのです、会場は「やった!やった!」と総立ちになり、歓喜と拍手が鳴り止まず、当の本人は一瞬ビックリしたように立ち止まりましたが、まもなく笑顔がこぼれ、なんとこの日一番のヒーローはスリーピング・メンバーの彼でありました。
こんなシンプルな例会だったのに目頭が熱くなったことを思い出します。

この結束力が功を奏したかその後、褒章特別プロジェクトスタッフの活躍によりこの時までの多くの事業を集大成しエントリー、この年の獲得した褒章は、日本JC最優秀賞一本、優秀賞一本、北海道地区協議会最優秀賞一本、及び優秀賞一本と大量の4個のトロフィーを獲得したのでした。
その他、道南ブロックスポーツ大会、応援団最優秀賞、ゴルフの部第一位等々….

そうして、この年の12月には後期会員合わせて171名の写真が名簿を飾っていました。

  数はやはり力なのでしょうか?!

次の紹介者 氏名 小保方 伸一 先輩です。

「事務局より」
すごい! 163名のメンバーによる100%例会、すばらしいお話を大津山先輩ありがとうございました。文中に「163名には163名のストーリが隠されている」と言う部分がありますが、この部分簡単な解釈をしてしまいがちですが、本当に難しく、デリケートな部分だと考えます。
各々のストーリは皆それぞれが、それぞれの立場で一生懸命活動し行動している事と思います。それを理解した上で、声を掛け仲間意識を持たせ足を運んでもらう行動を起こしてもらう事と言うのは、本当に価値のある結果だと思います。真の仲間作りはこのような意識から芽生えていくんだと感じさせて頂きました。貴重なお話ありがとうございます。

次は大津山先輩からご紹介を頂きました、小保方 伸一先輩です。お楽しみに
posted by OB日記 at 13:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月26日

OB徒然日記 第8号

平成20年11月17日

OB徒然日記

1982年卒業 阿部 喜朗

 「徒然日記」なるもの初めて板谷さんから耳打ちされ思い悩んでいたところ、11月に入り高橋理事長、乾事務局長がお見えになり、引き受けさせられました。
 卒業して26年、丁度苫小牧青年会議所の55年に及ぶ歴史の中程に私は在籍しておりました。何かを思い出すとしたら、やはり全道大会の事でしょうか。
 昭和53年、松井理事長の下、第27回北海道地区大会の主管が廻ってきました。私は式典部会長でした。7月8日13:00〜15:00開会式の担当です。考えることが山程ありました。しかし、これには良い教科書がありました。昭和44年の地区大会で使われた石田 貢先輩のシナリオであります。当事石田先輩は市民会館が完成し、その柿(こけら)落しの地区大会を仕切って以来、宮田 軍一・近藤 重明 両先輩と3人のチームを作り、イベントをプロのごとく請負っている観がありました。その手書きのシナリオはまことに緻密であり、非常に参考になりましたが、先輩特有の文字を判読するのに苦労した記憶があります。
 舞台はメンバーの大槻君に描いてもらいました。会場から見ると赤のジュータンと蹴込みのコントラストが生きて絵になったと思います。そして登壇者は最前列のみテーブルを設置、後列は椅子のみとしました。意図は圧迫感とスマートさからですが、これは前日のリハーサルで地区協のお偉方から足が組めないとか何とか大変なブーイングが出ました。最後は時の村井会長が「苫小牧の言う通りにしろ!」との一言で納まりました。
 舞台の背面は凝りに凝って、当事若草小の池本良三先生に依頼して白のスタイロフォームを熱線で切り取り壁画としました。折角の大作も光線の当たり具合が難しく正面から迫力不足の気がしました。
 オープニングは音楽、フィルム、ナレーション等、一つひとつに思い出があります。緞帳の幕開けの曲は、藤井先輩と第一洋食でコーヒーを飲みながら、入会前の山下君の意見も聞き「ツラツウストラはかく語りき」(2001年宇宙の旅のテーマ曲)の冒頭部にしました。それとナレーションを札幌のスタジオでテープにしたのですが、プロの声はさすがに低音の響く良い声だと思い知らされました。難しかったのは、山の内慎太郎君が作った詩の朗読に使った効果音です。イメージは西洋の鐘でカーンカーンカランカランという乾いた音ですが手当出きず、同じ鐘だとしてお寺のリンを試しました。どうしてもゴーンゴーンチーンチーンとなり相応しくなかったかと思います。
 出演者には数度のリハーサルなど、司会の岩倉博文君始めハードトレーニングを課しました。私は女房に作らせたシンボルマーク入りの前掛けをし、ストップウォッチを片手に時間あわせに精を出し、当日は奇跡のように2時間丁度で終えました。思えば1年前の釧路大会で次年度PRをした時に始まります。その時は「花の応援団」の出し物に前菜として松の廊下を歩む裾の布ズレの効果音を出すためワイヤーマイクを歯ブラシでこすり、音取りをしました。ザー・ザーと。
長い一年間でした。
 ついでながら、時の日本JCの会頭は麻生さんでした。純白のスーツを着こなしカッコ良かったと村井祐子女史が語っています。感受性が豊かであった頃です。そしてヴィトンのバッグを小脇に抱えて歩いていたとも申しておりますが、ちょっと怪しいと・・・
 ご記憶の方は彼女にTELして下さい。
 ともあれ、各人各様にそれぞれ全力を尽くし大成功に終わりました。直会は感激で涙・涙・涙。苫小牧JCはまさに一つでありました。
私もこれで心おきなくスリーピングに入れると思っておりました。しかし、運命はそうなりませんでした。
 現役の皆様、卒業まで楽をしようなどと考えたら間違います。最後迄全力投球しましょう。頑張れ!

次の紹介者 : 氏名  大津山 峻 先輩です。



【事務局より】
 当時の地区大会の苦労話、大変ありがとうございました。2004年度に地区大会を苫小牧にて開催したときも非常に苦労し、昔と同じように終了後の団結力は素晴らしいものがありました。大きな事業を成し遂げる苦労と、達成感は昔から変わらないんだと感じました。貴重なお話ありがとうございました。
 次は阿部先輩からご紹介いただきました大津山 峻先輩です。お楽しみに!!
posted by OB日記 at 09:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月14日

OB徒然日記 第7号

平成20年10月10日

OB徒然日記

1979年卒業 板谷  剛

 今年は市制60周年、商工会議所設立60周年、苫信創立60周年、そしてJC設立55周年と何かと慌ただしい一年です。その上、我々と一緒にJC運動をした麻生さんが総理大臣になっちゃいました。
それよりも、もうJCのメンバーが二世三世の時代です。今更、我々老兵が昔を振り返って嗚呼のこうのと駄弁を弄しても何の意味があるかは非常に疑問の多いところですが。
 まあそれも由として少し語らせてもらいます。私の入会した頃は、今のエガオの駐車場になっている所に、富士館という、先田さんが経営をしていた大きな旅館があり、その棟続きの食堂の二階か三階の小さな部屋が昼の例会場でした。駅通りと36号線の交差している、今の北洋銀行の前に産業会館があり、そこに事務局があり、そこから国旗やJC旗、その他例会用品が入った横長の箱を毎例会ごとに運んだものです。 でも昼の例会は多くのメンバーがゴルフに行き、出席率が悪いので2回とも夜の例会にしてしまいました。その場所は、今の北洋銀行のビルの4階から上がホテルニュー王子で、そこが例会場でした。悪いことに例会が夜になってしまいましたので、そこから親不孝通りが近くに在り、例会ごとに不良仲間、JC仲間で夜の街に繰り出したものです。JCの評判を悪くしたのは私たちです。
 JC綱領、JCの三信条位が大きな指針で、後はその年その年で理事長方針によって活動をしていました。友情、奉仕、修練この三信条は非常に便利なものでした。友情の名を借りて、JCの仲間と毎日毎日飲み明かしたものです。酒を上手に飲むことが修練みたいなものでした。そして、飲食店の女性に愛の手を差し向けることが本当の奉仕であると・・・。今考えると大変自由な解釈でした。そんな中、今でも続く数々の友人が、今の自分を支えてくれていると思うとJCはありがたいものです。

友情は、International Friendship
  (世界中に友情の輪を広げよう)
奉仕は、Community Service
  (地域社会に対する奉仕活動)
修練は、Individual Training
  (個人の修練、自分を磨こう)

 本当はこんな立派な三信条なのに未だにうろうろしている自分が恥ずかしいです。もう一度JCに入会し直そうかな。
 懐かしい思い出もあります。一つは自分が理事長の時に、村井さんがJC専属の事務局員として採用されたことです。もう30年以上経つかな?二つには、多くのJCメンバーの協力で苫小牧JCが社団法人化されたことです。これには裏話があって、市内の著名人、近隣のJCをお招きして盛大に社団法人化の祝賀会を開催したのですが、本当はそれから1週間後に道庁から正式な認可状が下りたのです。
 道南ブロック、地区協議会、日本JCと思い出せば切が無いので今日はこの辺で終わりにします。
 ありがとうございました。

次の紹介者 阿部 喜朗 先輩です。

【事務局より】
 板谷先輩、昔の情景、そして皆様で飲んでいる風景が垣間見える素敵なお話し、そしてJCの三信条の素敵な解釈!?ありがとうございました。そして、今や居ないと誰もが困ってしまう事務局員の村井さん・・・これからも末永くよろしくお願いいたします!
 次は板谷先輩からご紹介いただきました阿部 喜朗先輩です。お楽しみに!!
posted by OB日記 at 18:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

OB徒然日記 第6号

平成20年9月9日

OB徒然日記

1978年卒業 古戸 寅雄

 今年、苫小牧青年会議所が設立されて55年目の記念すべき年を迎えられた事、心より御祝いを申し上げる次第であります。
 私が苫小牧青年会議所を卒業して早30年近い年月が経っております。こうして、過ぎ去った青年会議所時代を振り返る事は、意気盛んな時代を再度迎える気分であり、私自身にとって極めて意義のある事と喜んでいる次第であります。
 昭和39年、先田譲二理事長の時に苫小牧青年会議所に入会して、松井理事長の年度に卒業を致しました。この青年会議所に在籍した15年間というものは、まさに私の今日を作ることに大きな役割を果たした時期であったと思っております。青年会議所の活動の中で学び、今尚大きな支えとなっているもの、それは、リーダーシップ・イン・アクション、指導力は行動力、即ち有言実行でなければならないという事があげられます。
 話は変わりますが、本年も八戸JCとの交流が事業として行われております。この交流は、昭和50年1月に始まりました。時の八戸JCの理事長だった金入さんとは、今尚お付き合いをさせて頂いておりますが、当時、苫小牧市の小学校から20名の選手を選抜して、八戸市へ乗り込み、長根屋外リンクでチビッコ達のアイスホッケーを2試合行いました。
 当日は、雪であった為パックが進まず、苦労しながら戦い11対0、7対0で勝利いたしましたが、実力差は相当あったように思われました。しかし、現在では対等に戦うまで力を付けているとうかがっております。
 こうして30年前の事を思い出しながら、文書を書くことに改めて、現在の自分の年代を感じている次第であります。
 最後になりますが、本年、現役メンバーが橋理事長のもと団結して実り多い55周年になりますよう祈念を申し上げて私の徒然日記とさせて頂きます。


次の紹介者:板谷 剛 先輩です。

【事務局より】
 古戸先輩、現在も続いている八戸青年会議所との交流が始まった当初の貴重なお話しありがとうございました。是非これからも交流を深め、事業継続をしていきたいと思います。
 次は古戸先輩からご紹介いただきました板谷 剛先輩です。お楽しみに!!
posted by OB日記 at 15:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

OB徒然日記 第5号

平成20年7月15日

OB徒然日記
1974年卒業 石田  貢

 JCを卒業して38有余年になる。入会の際、三役の面接を受け入会動機、JCに対する知識等多様な質問を浴びせられた。私に対する人物評は余程芳しからざるものだったらしい。現役時代の5〜6年間は、遊び歩いたり、真面目にJC論議をしたり、道内各地を巡り巡ったりで貴重な経験を味わった。その中から脳裏の片隅に留まって未だに消えないもののいくつかに触れてみたい。暇つぶしに目を通して戴ければ光栄である。

「ザ・スパイダースショー」
 今では到底信じられない出来事である。HBC支局長のT会員から、アイドルスターが出演するエレキバンドのショーをJCが主催してはどうかとの提案があった。
 理事会で大論争のすえ結局時の理事長の決断で主催することになった。私は、広報委員長の役職にあった。当時、エレキバンドは青少年の健全育成に有害であると言われた時代で、エレキギターへのアレルギーが横溢している時勢だったのである。そんな時勢に反逆して敢えて主催しようとするのである。しかも地域住民のオピニオンリーダーを自認するJCがである。広報委員長がJCのスポークスマンとして怖い怖いPTAと生活指導の先生方と対峙する羽目になった。結局保護者の同伴とショー閉幕後のアフターケアに万全を期すことで納得してもらうことになった。私は、この活動から2つのことを学んだ。1つは、理事会で活発な論争があっても一旦理事会で決定した暁は、理事たる者は対外的には自己の主張を述べるべからず。2つ目はJCの活動は地域住民に理解を得られるだけの説得力あるものでなければならないと言うことである。

「青年の樹」
 市民会館の正面玄関前に3本のアルミ製のオブジェがある。地区会員大会を主管したときに、苫小牧の未来を創造するシンボルとして論議のうえ記念事業に建立を決めたものである。結婚、子供の出産、受験合格記念等々その人の節目、節目の出来事を記念してアルミ製の玉を枝木につけ、恰も樹木に実がなるがごとく育って欲しいと願い、やがて3本の人造の柱が増え「希望の森」に進化することを夢みたのである。現在は枯れ木のまま放置されているのは寂しい限りである。寄付を受けた市に当時の事情を知る職員がいなくなったこと。JCは寄付した側でとやかく言える立場にないこと。玉をつけるには結構工事費がかかること等々で雨水に晒されているのかも知れない。何か方法はないものだろうか。

「交通遺児育英基金」
 苫小牧市内を縦断する国道36号線が「棺桶国道」と言われていた時代、地元に交通遺児育英基金制度が市民の手で創設することはできないだろうか。JCがその契機をつくれたら本望だと思った。成算があった訳ではない。今は亡き先輩が紹介してくれた日本の代表的テノール歌手五十嵐喜芳氏のリサイタルショーをその契機にすることとした。私は開幕の舞台でこのリサイタルを主催するJCの目的を述べ、聴衆に制度創設について協力を仰いだ。基金は収益金30万円位でスタートしたと思うが、現在も個人又は団体から寄付金がよせられていること風聞し我意を得たりの思いである。JC活動は市民の共感を得ることが大事であることを学んだ気がする。現役諸君、君が理事又は委員長に就任したら、その挨拶替りにビール一杯分の浄財を基金に寄付して戴ければ提言者としてはありがたい。

「都市再開発に関する市民アンケート調査」
 今は、何事もなかったかのように商業活動が行われ、駅前通りをバスが往き来している。当時、駅をどう建て替えるか、駅から現グランドホテルニュー王子前を経由して36号線に至る市道を「副道」とした駅前都市再開発計画がすすめられていた。市議会で当然議論されるだろうが、オピニオンリーダーを自認するJCとしては拱手傍観している訳には行かない。
 「副道」が整備されれば、当然物流、人の流れ、商店街に影響があると思われるにもかかわらず、商業界からの反応は鈍く、又一般市民の反応もいまいちであった。都市再開発は官主導よりは民意が色濃く反映されるべきだと思い、ともかくJCのやれることがあれば、今こそ会員の知恵と行動力を示すべき時機であると確信し、提示されている再開発計画に対して市民がどう考えているのか、広くアンケート調査を実施することにした。会員は精力的に街頭、職場、公共施設などにアンケート用紙を配布して廻った。調査は各界から概ね好意的な協力を得て成果が得られたと思う。
 更に、駅舎の改築をはじめ駅前広場の再開発について国鉄管理局との懇談会も視野にあったが、準備期間がなく実現できなかった。残念だったのは、ひそかに期待していた商業会の次代を担う青年たちから反応が感じられなかったことである。

「中華民国との国交断絶前夜」
 その時、台湾の台中でJCのアジア大会が華やかに開催されるはずであった。既に日本JCの先発隊は台湾にあった。ところが、雲行きが怪しくなってきたのである。我国が中華人民共和国と国交を樹立するらしいとの情報が流れてきたのである。これはヤバイ。
 東京のホテルで待機していた出発前夜、臨時ニュースで中華人民共和国との国交樹立のニュースが流れた。翌朝か当日深夜か記憶が薄れているが、時の大平外務大臣の重大発表が放送され、台湾とは国交が断絶されることになった。今更、渡航中止を決めるのも癪だし、旅費、登録料が還付される保証もない。どうしようか同行委員と思案していたらJALの添乗員が飛んできて香港経由で台湾入りすると言う。JALは台湾の空港に乗り入れができなくなり、香港で別便に乗換えて台湾に入国することになった訳である。台湾の日本JC首脳からアジア大会に参加する会員の言動には特別の注意を払うよう強い要請があった。
 台北空港に降り立ったとき、国交断絶した昨日の今日である。台湾の人達からどんな迫害を受けるかも知れない恐怖感に襲われ、その緊張は相当なものだった。
 入国審査を経て回転テーブルから荷物の受渡しを受けるとき、空港職員から、国交断絶は政府間のことで、民間人の交流をも断絶するものでないから、台湾の人達はJCの皆さんに手は出さないと言われて少しは安堵したが、矢張り緊張感は拭い切れない。
 翌日、開催都市で駅前から大会会場附近まで参加国JCの市中パレードが予定されており、日本の参加JC団には両サイドに儀じょう兵らしき軍人の護衛がついて物々しく、いつ石礫が飛んでくるか気が気でなかった。台湾は初めての海外旅行であったが、幸い何事もなく、可愛らしい女子大生の市街観光案内もあったりして結構楽しい経験を味わった。これが癖になったのかその後数度台湾に行くことになったが、国交断絶の際の極度の緊張感は今でも鮮明に蘇ってくる。
駄文を労したが、そろそろ筆を置くことにしよう。40歳になれば否応なしに卒業である。現役諸君には大いにJCを楽しむことを願って止まない。

次の紹介者:古戸 寅雄 先輩です。


【事務局より】
 石田先輩、ご寄稿ありがとうございました。如何なる視点で、如何に考え、どう行動すべきかについて、深いご示唆を戴きました。現役一同、肝に銘じて活動して参ります。
 次は石田先輩からご紹介いただきました古戸 寅雄先輩です。お楽しみに!!
posted by OB日記 at 10:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月30日

OB徒然日記 第4号

平成20年6月25日

OB徒然日記
1972年卒業 岡部 照一

 苫小牧青年会議所 創立55周年おめでとうございます。
 人口173,000人を有し、全道の中で5番目に大きな町、苫小牧市。港があり、空港があり、札幌に近い、たいへん恵まれた地域苫小牧ですが、中心市街地の空洞化が進んでおります。

 一昔前、苫小牧で大型店と言えば、生協、農協、鶴丸百貨店といったところでしたが、1973年10月27日に木場町に長崎屋苫小牧店がオープン致しました。ちょうどその1年前、長崎屋が木場町に造るショッピング センターがあると言うので青年会議所同志 岩倉光博さんとアラスカのアンカレッジに見に行きました。その時、第33代理事長 岩倉博文さんがアラスカアンカレッジの大学生で留学していたと思います。

 その後1975年、一条銀座アーケード建設一期が落成しています。その時の苫小牧の一条通りは大変な人の流れで、そんな時、苫東計画が発表され、国家プロジェクトで間違いなく苫小牧は人口30万人の大都市になると言われていました。また、元より、Jベルト地帯の新産業都市として、国家プロジェクト、公害も来るけれど発展することは間違いないと、職住分離で、生活は西、職場は東と決めたのです。それが全国にも発表になりましたから1976年、昭和51年12月25日、商調協が大型店問題で結審し、昭和52年11月1日 サンプラザ(17500u)が開店、その後、昭和53年5月1日 イトーヨーカドー(13500u)が開店いたしました。商工会議所が苫小牧の繁華街の人の流れの変化、通行量調査をした結果、1975年一番人通りが多かったトピア前では、1日1万人強の歩行者がいました。それが16年後には五分の一の2,000人です。それも今では歩行者はもっともっと少なくなりました。一方16年後、一番人通りが多い場所になった駅前の「ミスタードーナッツ」の前でも8,000人しかいません。どうも街づくりが悪かったと思います。

 1977年、日本商工会議所の商業近代化実施計画策定地域に苫小牧が正式決定致しました。1977年6月11日、苫小牧市が駅前に市営バスターミナル476の駐車場を併設したビルの建設を発表、それを受け、苫小牧の商業近代化実施計画を担当する委員長 石原舜介 東工大教授が、市のバスターミナル計画を強く批判「実施計画から降りる」と爆弾発言。地元デパート近くに建設すべきと言って辞任しました。1978年2月24日、商工会議所が大型店凍結宣言をし、人口おおむね20万人に達するまで大型店の新規出店を認めないと決定しました。1978年3月24日、商工会議所が大型店凍結宣言について市内の消費者、5団体に説明しました。

 1978年6月25日、錦町地区再開発期成会の設立総会、手を打ち始めたときはすでに手遅れに。この結果、繁華街だった錦町の一条銀座通りは、大町側3丁目あたりから物販ではやれないので、店を改造して貸店舗に。それが利用されない空店舗になり、辛うじて一丁目の店舗群が残っています。

 激しく揺れている街づくり、中心市街対策の政策的意義とは、中心市街地は長い歴史の中で地域の文化や伝統を育て各種の機能を培ってきた「街の顔」であり、その空洞化は「コミュニティーの危機」です。それが今の現状です。

 私達のJC時代1970年前後は世界の人口は35億人でした。今の世界人口は65億人。若いJCの皆さんが活躍される30年後、おそらく世界の人口が90億人になるはずです。地球の温暖化ひとつとっても大変な問題です。

 苫小牧青年会議所の皆さん、好きトマ精神とその運動で街は1日で出来上がるものではなく、永い目で青年会議所運動の中で街をつくっていって下さい。

次の紹介者:石田 貢先輩です。


【事務局より】
 岡部先輩ありがとうございました、中心市街地について我々青年会議所でもっと積極的に取り組まないといけないですね。今後の取り組みの中で是非検討していかなければいけないと思いました。

 次は岡部先輩からご紹介いただきました石田 貢先輩です。お楽しみに!!

posted by OB日記 at 09:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。