本日記は、2008年度、苫小牧青年会議所設立55周年を記念して企画いたしました。

 2008年度の基本方針にある、「人とのつながり」という言葉、そして、理事長方針にある、「古きを温ね、新しきを知る」という温故知新の精神をもってJC活動をしていきたいという願いが込められています。OB諸氏の皆様方に青年会議所への思いを熱く語っていただくきます。

 本日記はリレー形式で、OB会長の柏木先輩からはじまり、次の投稿者をご紹介いただきリレーしていきます。
メンバーの皆様、先輩達からのメッセージを胸にJC活動に邁進していきましょう !!

2015年06月21日

OB徒然日記第39号

●OB徒然日記第39号
今回は2012年にご卒業された佐藤元信先輩にお話を伺いました。
佐藤先輩は指導力開発委員会を経験されております。
委員長での経験談など、今回も現役メンバーへのメッセージなどなどインタビューさせていただきました。

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■ どのような例会を開きましたか。

・ 2月の 「発想力で時代を見る!!」
・ 6月の 今こそ実践!『コーチング』
・ 9月の チーム力を付けよう!
の3本です。
その他、事業として3分間スピーチ、安里繁信氏(平成21年度日本JC会頭)をお招きしての講演会を実施しました。
2月例会は、千歳JCとの合同例会でした。JCのOBでコンサルティング会社を経営されている北川邦弘先生(平成9年度日本JC東京ブロック副会長)をお招きし、講師例会としました。
6月と9月の例会は、その名の通りコーチングとチーム力について発信しました。
委員会メンバーにも様々な負担を掛けてしまいましたが、皆の協力のお陰でどうにか例会をまとめることが出来ました。

■ なぜその例会にたどり着きましたか。

2月の千歳JCとの合同例会は、年度が明ける前、実際には委員長予定者の頃からの千歳JCとの打ち合わせとなりました。委員長になりたてで何も分からず、協議上程の質問で「千歳と合同で行う意味とは何なのか」と聞かれ、「理事長に言われたからです」と思わず答えてしまいそうになったのは今となっては良い思い出です(笑)
6月のコーチングは、最初から是非取り上げたいテーマだと思っていました。しかし、9月のチーム力は難産だった。当初は何をしたら良いのかなかなか案が浮かばず、密かに「みんなで武道を体験する例会」なんかも企てていました。まぁ、上程はかなり炎上したはずですが(笑)

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■ 開発についてのポイントはありますか。

開発系委員会の役割は、LOMのメンバーに学びの場を提供すること。私は、上程文の目的の欄は毎回これでもいいくらいに思ってます。しかし、であるからには、開発系委員会のメンバー、その中でも特に委員長は、例会で取り上げる事項についてはメンバーに享受できるレベルの知識を持たなければなりません。しかし、全ての委員長に共通して言える事ですが、委員長はその道のプロがなるわけではなく、基本的にはズブの素人です。みんなゼロからのスタートです。ですので、私の場合はとにかく本を読みました。本を読んで自分なりに解釈して、例会にどのように反映できるかをイメージすることが大切です。読み終わって、これは使えないという結論に至る本もあったりします。正に修練です。たぶんあんなに本を読むことはもう二度と無いと思います(笑)。

■ どのような事に苦労しましたか。

やっぱり何と言っても上程です(笑)。ただ、上程を終えると吉本室長(当時)がご飯を奢ってくれるので、それだけを励みに上程していました。人前で話すのが元来あまり得意では無かったこともあり、最後の報告上程の時まで緊張しっぱなしでした。最初の頃は、(どうしてみんなこんな意地悪な言い方をするんだろう)と思っていました。理事者はただ単純に知りたいから聞いているのであり、質問が実はちょっとしたアドバイスの時もある事を理解できたのは、委員長を終えて室長の任に着いた頃でした。

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インタビュー中の総務委員会久保副委員長

■ 例会を開いた後の効果はどうでしたか。またその検証方法は。

例会後のアンケートなどを取ったこともありましたが、一番検証で役に立ったのは、例会後や報告上程後の飲み会です(笑)
お酒を飲むと、みんな本音を言ってくれます。また、文章よりも聞き取りの方が、やはり分かりやすい。生の声を聞くというのは、大切なことだと思います。

■ 現役に対するアドバイスをお願いいたします。

私がよくJCの話をするときに出すのが「三信条」です。つまりは、「奉仕」「修練」「友情」ですが、これらは決して個別の物では無く密接に絡み合っている物なのです。
地域への奉仕を通じメンバー同士の友情を深め、この地域のリーダーとなるべく修練を積む。そして、JCを卒業して真のリーダーとなったとき、JCで培った友情と修練を糧に事業に励み、結果として地域への奉仕と成す。どれが一つ欠けていても私たちが真のリーダーとなることは出来ません。それぞれの役割を担う委員会に配属されている方は、誇りを持って会の運営に励んで頂きたいと思います。
しかし一方で、JCをあまり崇高な物と考えない方がいい。「JCが地域のために奉仕してやっている」などという考えは捨てるべきです。そうではなく、地域に奉仕する機会を与えてもらっている、勉強する機会を与えてもらっていると考えるべきでしょう。言い方を選ばずに言ってしまうと、JCなどは何も出来ない。当たり前です。みんな素人の寄せ集めなんですから。ただ、素人が額を突き合わせて何が出来るか、時にはケンカしてまでも真剣に考えるからこそ修練に繋がるのです。JCが結果では無く、行き着くまでのプロセスにこだわるのはそういった理由なのです。要は、謙虚に泥臭くやれと言うことです。
JCは、多くの気づきの場を与えてくれる素晴らしい会ですが、忙しいからと言う理由でJCにネガティブなイメージを持つ方も多くいらっしゃいます。私の考えとしては、あくまでもJCよりも家族優先、仕事優先です。JC活動に精を出すあまり会社が傾いたり、家族が離散することになっては本末転倒です。しかし、自分を優先させることは避けて頂きたい。つまりは、面白くなさそうだから例会や事業に参加しないであるとか、開催地が遠いから地区の集まりに参加しないとか、そういったことは避けて頂きたい。どんなことであれ、そこには何かしらの気づきが有り、そこに行かないと言うことは自ら気づきに接するチャンスを逃していると言うことです。何よりも、そこで汗を流している友がいる限り、自分に少しだけ鞭打って大切な友達に顔を見せてあげられることが真のJAYCEEなのではないでしょうか。
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2015年06月06日

OB徒然日記第38号

OB徒然日記第38号
今回は2011年にご卒業された神保康弘先輩にお話を伺いました。
神保先輩は2004年地区大会主管実行委員会財務局長を経験されております。
当時の地区大会の経験談、現役メンバーへのメッセージなどなどインタビューさせていただきました。


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2011年度にご卒業された神保先輩




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神保先輩にインタビュー中の総務委員会、石黒委員


神保先輩インタビュー (地区大会について)

地区大会を何故誘致しようと考えたのですか。

 次は苫小牧が行うべきではないか、と言う流れもあったと記憶していますが、地区大会経験者がいなかったため結論が出ず、最終的には理事長の想いで誘致することになったと記憶しています。

誘致するときの障害はなんでしたか。

障害ではないですが、あくまでも地区大会はLOMの想いだけで進むわけでは無いので、地区の方向性とLOMの向く方向を一致させるのは本当に大変でした。

誘致しようと思ったとき、メンバーの反応はどうでしたか。

経験者もいなかったので当時はまだ全員がやろうと言う雰囲気ではなかったです。

地区大会の準備期間に苦労したことはなんですか。

地区大会をやらなきゃダメなんだ絶対に失敗できない、理事長、実行委員長、更にはLOM全体に泥を塗る事になるので、とにかく必死でした。
それぞれの部会も予算内で行うように組み立てていましたが、それでもオーバーする部会も出てきますので、予算割合を修正したり、趣旨に反しない限りは色々と修正を行い各部会で意見交換をしていたがなかなかまとまらず苦労した。

地区大会運営時メンバーの協力体制はどうでしたか。

主管ではあるがあくまでも苫小牧でやらせて頂いている地区大会なので、絶対に成功させるんだという気概を皆が持って動いていました。

どのようにすれば現役メンバーを満場一致で賛成の方向に向けれると思いますか。

全ての委員会を訪問しディスカッションを行って、是非を聞いてまわっていました。
当時、意見を出すメンバーもいましたが皆やると決めたらやる人ばかりだったので、
考え方は人それぞれなので、全会一致は本当に難しいとおもいます。

現役メンバーにむけてアドバイスをお願いいたします。

地区大会を行なう事は必ずいい影響があるとおもう、仕事も含めて人としてのスキルも上がり、さらにLOMを牽引するメンバーが増えるのでLOM全体のスキルアップにもつながります。
自分が考えている以上の覚悟が必要だと言う事だけは頭の片隅に入れておかなければならないですね。
表も当然だけれど裏方を含めて実務が出来る人間がどれだけいるのか、成功させる力量をもった人がどれだけいるか、部会長だけでなく遂行できる人が必要です。
得るものが有るので、その点だけを考えて決めてください。
やるので有れば知ってることは全部伝えます。これは当時の人間はみんな言っていますので、
やるのは当事者である現役のみなさん、やると決めたのであれば思いだけでなく覚悟をもって進んでください。

神保先輩ありがとうございました。
神保先輩から聞かせていた頂いたお話を今後の活動に生かし、活動していきます!

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2015年03月26日

OB徒然日記第37号

OB徒然日記第37号
今回は2010年にご卒業された神田英俊先輩にお話を伺いました。
神田先輩は拡大委員長を経験されております。
当時の委員長の経験談などインタビューさせていただきました。
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神田英俊先輩



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インタビュー中の総務委員会、久保卓也副委員長

■ 当時の現役メンバーは何人いましたか?
2003年度は110人でした。

■ 拡大の目標人数の設定は何人でしたか?
目標は、その前の年と同じく倍拡を目指していました。2002年は30数名の拡大で日本の10%拡大褒章を受けていたのを覚えています。

■ 拡大のリストアップをどのように作成・選定をしていましたか?
拡大対象者がいるかメンバーにヒアリングしたりOBに確認したりして、表にまとめランク付けしていました。
また、紹介者リストを作成(カード)して各委員会が行なわれる度に毎度訪問し、進捗状況を随時確認、更新していきました。

■ 委員会メンバー以外は拡大に協力的でしたか?またそのエピソードもお願いします。
前項でも記載しているように、各委員会が行なわれる度に訪問していた為、メンバーが協力的になってくれました。状況が変わらないから、こなくても良いよと言われたこともあったが、それでもいいから訪問させて貰っていました。大分うざい存在だったかもしれないですね。

■ 拡大においての弊害はなんだったと思いますか?
入会申込書を早い段階で書いた場合年2回の入会資格審査だと、気持ちが覚めたり周囲から間違った情報を入れられ入会できない人がいたので定款の変更を希望し随時入会できる様になりました。結果として2003年は年4回の入会資格審査会議を行なってもらっていました。

■ 卒業後、自社の社員を入会させようと考えたことはありましたか?
勿論、入会させたいと思っていましたが、仕事においても右腕として動いてくれる人間が不在だった為に入会させれなかった。今思えば、誰かを入会させていればその人間が右腕に成長したかもしれないと考える事がありましたね。

■ 拡大の秘訣はズバリ何だと思いますか?
委員会、理事長の拡大に対する情熱の炎を絶やさない事だと思います。理事長挨拶の時に常に拡大のピーアールを徹底してもらい、JC以外の人達にも拡大がいかに重要かを知ってもらうお願いをしていました。常に拡大のLOM祭りの感じが必要だと思います。

■ 現委員長に一言エールをお願い致します!
現委員長というよりも、拡大委員会の皆さんに。皆に嫌われる覚悟で図々しい位に拡大を全メンバーにお願いしていって欲しいです。委員会メンバーの動きを全メンバーにオープンにしていけば必ず全員が協力して動いていってくれる。いつでもどんな時でも拡大のチャンスはあるので常にアンテナを張って動いて下さい。

■ 最後に神田先輩にとってJCとはなんでしたか。
苫小牧の地域経済の基盤になっている、気概が身につく場所だと思っている。

神田先輩ありがとうございました。
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2014年10月17日

OB徒然日記第36号

OB徒然日記 第36号 山口 武宏先輩

1992年後期入会、2003年に卒業しJCに12年間在籍していました、齢50歳の山口武宏でございます。この度、現役JC委員会から原稿の依頼が来まして、喜んでJCの思いをつれづれなるままに語らして頂きます。
平成4年に青年会議所入会のお誘いがあり、市民会館の会議室での面接審査がJCの始まりでした。当時の私は、青年会議所という団体の印象は、街の名士やブルジョワジーが集まる団体と思っていましたので、極々平凡なサラリーマンを自負していた私には場違いだなと感じていました。面接時の頭の中は、「入会しても勤まるかな?でも、落とされるのも社会的・人格的なものを否定されるようで傷つくな・・・」と複雑な気持ちで臨んでおりました。落ちるのは恥だと力の限り取り繕い、めでたく合格と相成りJC活動が始まりました。その活動一発目は、例会参加でした。度肝を抜かれたのは、オープニングの国歌斉唱・JC宣言・綱領唱和・JCソング唱和のセレモニーでした。「やばい!何か思想的団体なのか?」と正直なところ驚きでした。例会内容は、お堅い構成でしたが、実に洗練されていて、先輩たちの企画力・言動・スピーチ力に感心しとても立派な方々だなと尊敬の念を抱きました。そこで、私の例会参加姿勢は、というと、突然振られる三分間スピーチに怯え、先輩達への畏敬を併せ持った不安定なもので、決して楽しくないJC活動のスタートでした。さて、その尊敬する先輩達ですが、夜の街に出ると、尊厳ある御仁たちとは、様変わりし、豪快な男性となり大変率直に人と触れ合い人間らしさ溢れる振る舞いに、以外と初心(うぶ)な私は、当初引いておりました。このように衝撃的なJCとの出会いでは、ありましたが、月日を重ねるうちに、様々の事が見えて、身についてゆきます。先輩たちのオン・オフの上手さ、事業を企画する能力の育成、スピーチ力など人間力の開発発展に、少しずつ慣らされ私の苦手なリーダシップの分野をかなり克服できたと思っています。あの、オープニングセレモニーで違和感をもった国旗掲揚、斉唱・綱領唱和の私なりの考えも見つけ出しました。国家は、先祖から子たちへ伝えるものであり、継ぎ渡す義務がある。そのためにメンバーが結束し一つとなり豊かな未来を創り、守るべき尊いものとしての未来の象徴が国旗、国歌そしてスローガン唱和であると気づき、気持ちよく唱えるようになり、今も誰よりも声高らかに唱和しております。JCに入会していない自分は、どんな人間になっていたか、たかが知れた人間になっていたのかもしれません。
俄然気持ちのいいのは、JCの縦社会ですね。先輩に引き上げられ、褒められ叱咤激励されながら、役職やイベントを遂行するのは、忙しく大変でしたが楽しかったです。大役を仰せつかった年は、毎日JCやりました。後輩たちも上手く先輩を立てて頂けますので、交流会などもとても気分が良いです。現在私は、ボウリング会議所に所属しており、毎月例会でのOB現役交流が何よりの楽しみでございます。飲み会になれば、JC時代の話が中心で、毎回飽きることなく語っております。本当にJCで多くの友情を得ました。感謝です。
JCを卒業しOBとなったメンバー達は、例えばPTAなどに数多くのOBがPTA界に席巻しており、社会に何らかの貢献をすることに躊躇なく参画する気質を皆様持ち合わせています。そのような場で多くのメンバーと再会、結集すると、嬉しくも楽しい現役時代の再来です。奉仕活動が自然にできる仲間たちを育むJCは、素晴らしいです。
JCは、奉仕・友情・修練をかくも実践できる場所はないと考えます。あまたいる青年をJCに入れることが、本人・社会・企業にとって最良の道だと、私は思います。
これからも、現役とOBが協調して、この街を盛り上げていきましょう。

<LOM運営委員会より>
 山口先輩ありがとうございました。JCの魅力が大変伝わりました。現役を離れても、同好会を通じて先輩たちと交流できるのは素晴らしい事だと感じました。
現役の皆さんも是非ボウリング会議所よろしくお願い致します←
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2014年09月08日

OB徒然日記第35号

OB徒然日記 第35号 丹治 秀寛先輩

 吉本光国君からOB徒然日記の紹介を受け、丹治秀章君より原稿を書くようにと依頼があり、ちょっと考えておりました。
 入会は昭和55年後期になります。当初例会にもあまり出席する事が出来なかったのですが、委員会より事業の出席要請がありまして、多くの事業に参加しました。その後、出向で日本JC・青年の船・道南ブロックと多くのJCメンバーと知り合う事になり、今でもお付き合いのあるメンバーも多いです。
 LOMでは、私のJCライフを変えた先輩の一人に渡辺健治先輩がいらっしゃいました。最初の出会いは、初めての委員長の時でした。おまつり委員長としてアクティブな行動や継続事業の見直し等、個性派のJCマンでありました。2度目は、私が2年間ほどJC活動を積極的に行えなくなり、このまま卒業して行く事になるなと思い、後3年で卒業と言う時期でした。渡辺理事長のもと、副理事長を受けた時から第2のJCが始まりました。この年は岩倉博文君が日本青年会議所副会頭として活躍した年でした。LOMでは副会頭のサポートを全メンバーで対応した1年でした。
 最終年度に理事長をやらせていただく事になるわけですが、この時ほど26年会のメンバーに協力を得た事はありませんでした。理事長になるやいなや、事務局費の値上げ、例会費の値上げをしなければならない事となり、LOM全体の変革のスタートでした。テーマ別に環境文化・交通体系・JC運営・政策等、委員会の見直しを行い、LOM運営を1年間考える年としました。その他には中学駅伝苫小牧大会がスタートした年でもありますし、2年掛りの全道大会の決定や、臨時総会で次年度を選挙にて決める事となり、当時OB会長でありました脇本先輩には大変なご迷惑をお掛けする事になってしまいました。
 卒業式最後の臨時総会では会費の値上げを通していただきJCを無事卒業する事になりますが、多くのOB諸氏や苫小牧市民の皆様、企業の方々にもご協力をいただきました事に対し御礼申し上げる次第であります。ありがとうございました。卒業して23年になりますが、今もJCを通じての友人や人との出会いを大切にしている一人です。
 最後になりましたが、吉本光国君並びに2年間OB徒然日記の原稿が止まっていたのをスタートさせた委員会に感謝して終わりとさせていただきます。

<LOM運営委員会より>
JCを通じての出会いや、感謝の心を常に持つ事の重要さが解りました。丹治先輩ありがとうございました。
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OB徒然日記第34号

OB徒然日記 第34号 吉本 光国先輩

 今回、渡辺健治先輩から執筆依頼を受けました。現役時一番心に残っている事。また、今の現役に伝えたい思い出や活動等がテーマですが、JCに入会して初めて感じた事は、スケートまつりです。JCの理念は理解していたつもりでしたけれど、年会費を払ってまつりの製作でなんで辛い思いをしなければならないのかと正直感じました。しかし、氷の滑り台から子供が無邪気で喜んでいる笑顔を見ていると、奉仕の精神が少し理解できたと思います。これもJCの組織がその機会を作ってくれたと思います。
また、私のJC時代に岩倉博文先輩が日本青年会議所副会頭になられた事が、苫小牧と言う地名を日本中にPR出来た事だと思います。その時、私は渉外委員会の委員長をさせていただいていて、大変強く感じた事は、東京オリンピック誘致時の「おもてなし」の精神です。この「おもてなし」の対応はこれでいいと言う事がないと言う事です。委員長時代はまだ気を付けなければならない事がないか常に思っていました。これは我々の人生に「おもてなし」の精神が必要だと、JC並びに岩倉先輩から得た唯一の財産として感謝しております。

<LOM運営委員会より>
おもてなしの精神は様々な場面で必要であると私達も感じます。この精神を忘れないよう心掛けて参ります。吉本先輩、貴重なお話しありがとうございました。
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2014年06月21日

OB徒然日記第33号

OB徒然日記 第33号 渡辺 健治 先輩

 今年は、青年会議所から2件の原稿依頼がありその1つが錦戸委員長から会員拡大に関する事、2つ目はOB徒然日記の依頼。これは玉川健仁先輩の紹介で丹治委員長が訪ねてきた。
 テーマは、現役時に一番心に残っている事、今の現役に伝えたい思い出や活動についての依頼であった。
玉川先輩とは、昭和61年度大津山峻理事長のもとで副理事長として共に活動させていただいた事が後のJC活動や運営に大いに役立たせて頂いた。
入会したのは、昭和55年前期に知人の後見人として入会した。 
JC在籍11年での一番心に残っていることを大別すると1つが、入会から3年ほどは会に馴染めず、例会にも遅れてそのうちスリーピングメンバーの一人になった時、吉本俊憲先輩に声をかけられ、JCの良さや自分が感じている思いを理解して頂いた。その上で道南ブロックの国際室に出向して色々な人達に出会い自分自身の成長に繋ぐ事ができた。
2つ目は、昭和60年度岩倉理事長のもとで故針生青少年委員長・丹治国際委員長そして私はおまつり委員長として3委員会が相互に補完しながら千葉県市原JCとのサマーキャンプ、ニュージランドネピア市友好団の受け入れ、冬・夏まつりの事業でスケートまつりでは緑ヶ丘公園の樹木を支笏湖爆氷祭りに見立てた氷の造形とライトアップを施した。また、港祭りでは従来のパレードを変えネーミングをポートカニーバルとマーチングパレードなど事業の成功を願ってメンバー一丸となって頑張る事ができた。
3つ目は、昭和63年度田村理事長の時に前年度道南ブロック協議会会長から北海道地区協議会会長に岩倉博文君が会長に就任した。先輩たちが期待していた地区会長を支える立場に私が地区運営専務を担当する事になった。54青年会議所それぞれの活動があり、LOM運営にも特徴があり、それを束ねる岩倉会長はアクティブな1年だったと思う。就任早々京都会議、アジア大会(香港・マカオ)など、また地区内においては地区大会の在り方や登録料の値下げに伴う主管LOMとの打ち合わせ、更には函館JCの全国大会誘致など地区の事業が多く岩倉会長のフットワークで切り抜けた。
4つ目は、苫小牧JCが念願の日本青年会議所副会頭として岩倉博文君が推薦され就任した。私が副会頭を輩出したLOMの理事長に就任した。そして、忘れもしない昭和64年1月7日天皇陛下がご崩御され、会頭選出LOM大阪JCの新年交礼会が開催されるかもわからない状況でも出席のため千歳空港に向かい大阪に出発した。町並みは薄暗く、所々に黒の紋章と半旗が掲げられ昭和天皇がご逝去されたのが認識できた。
激動の昭和が終わり新天皇が即位し、新元号「平成」と制定され、平成元年の理事長としてのスタートであった。自分の第一歩が歴史の新たな一歩をふみだした1月当LOM新年交礼会は、記憶に残る交礼会であり、自分と同じ年にスタートする仲間はどう感じているかははかるすべがない。また、先輩諸兄から岩倉副会頭を会頭にと強い要請があり私は、南は北九州に、中部東海、関東にと奔走した事が走馬灯ように思い出され、結果として日本青年会議所監事として就任した。
気が付けば、JCを卒業して25年程になりJC行事を楽しみにしているが年1、2回しか参加できないでいる。また未熟な私が苫小牧JCじゃがいもクラブの会長をさせていただいているので、是非現役のメンバーや普段ゴルフをしているOB仲間の皆さんと会うのを楽しみにしておりますのでよろしくお願いします。
終わりに、JC会員(自分)としてかけがいのない貴重な体験や父親がなくなり後継者としての自覚・自立するため同世代との交流や仕事に対する価値観など経営者として必要不可欠な要素を学んだ事、JCに入会する事ができた事を心から感謝しております。今後も社員を入会させますのでよろしくお願いします。

<LOM運営委員会より>渡辺先輩ありがとうございました。国際的な活動のお話しや、他LOMとの交流のお話しがとても参考になりました。最後に非常に心強いお言葉をいただきましてありがとうございます!!
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2014年05月02日

OB徒然日記第32号

OB徒然日記 第32回 玉川 健仁 先輩

JC*VAN
 

皆さん、こんにちわ。JC卒業後、28年を経過し、思い出話とのこと。少し綴ってみたいと思います。
苫小牧っ子の私は、昭和39年(オリンピックの年)高校卒業後、大学生活4年間学生生活を満悦し、建築技術者として、東京で就職、戦後復興の最盛期で何においてもインフラ整備・建築の多様化、公共事業の真最中で忙しく、何もかも新鮮で若い私には、凄く刺激的な10年間でした。
 苫小牧に舞い戻り、家業を継ぐ事になり、何も知らないこの業界に入りました。また、苫小牧市も大きく変貌し、街並みが都市化してきた時代です。今思えば、JC活動とは何たるかも知らずにいましたが、先輩・同級生の誘いで苫小牧青年会議所に入会しました。何も知らない手探りの状態、まず思ったことは例会に出席することから始まりました。
 昭和50年後期入会(古戸寅雄理事長)すぐさま樽前山神社のお祭りの話。JCが担当しており、私の店も元町で、近いのと私自身、小さい時からラジオ体操で神社に行っていたので、親しみを持って接する事が出来ました。神社に手伝いに行ったら、社務所に石田貢先輩が、事務局をしていたので、行きやすかったのでしょう。皆さんが一生懸命で、行列の打ち合わせ・道具の用意・おみこしの人集め、忙しく走り回った事を覚えています。
また、宮司さん(永井高明先輩)に良く声をかけられ、以後、今もお祭りに神社のかかわりをもっています。
 JCの華、道南スポーツの戦いの一幕を語ってみましょう。入会してまもなくスポーツ大会を見に行き、特に苫小牧JCの活躍を見て、力強く応援していました。昭和55〜56年頃、応援団を結成しようと働きかけ、自ら団長となり、毎年応援テーマを考え、他のLOMを圧倒する応援団にしようと(応援団賞もあり)衣装も看板も道具も皆でもちより、おもしろく・おかしく・楽しく、苫小牧は、マラソン・ゴルフが強く、綱引き・野球がちょっとでしたが、毎年総合では、優秀な成績で連覇を続けていました。
特に、昭和57年の金太郎祭、昭和59年孫悟空祭、昭和60年一寸法師祭、最後の昭和61年は、大津山理事長を中心にメンバー全員に声かけをして、100名応援団で成功、道南ブロック応援団賞5連勝を勝ち取りました。
 昭和57年(副理事長)時は、手探りでしたが、川田理事長の行動力は、早かった。前を向いて何でもやってみよう精神です。各行事の参加、もちろん苫小牧市の行事に参加しようと色々出かけました。
ニュージーランド協会の参加、東京大使館の訪問交流、大洗航路は、室蘭・苫小牧のバトル。大洗市まで大勢で出かけ、苫小牧をアピール、大歓迎を受けました。また、大井のいすず自動車本社を訪問。苫小牧をアピールしましたし、王子製紙3条通りブロック塀に大壁画はどうか!企画、訪問、明るい苫小牧の街づくりにアクションをおこして行動した年でした。
 最終の卒業年度は、JC活動の集大成として、大津山理事長と共に役員一同が、話を積み重ねました。褒賞特別プロジェクトを組織、各方面の訪問、行事の参加、会頭重点テーマ推進賞を取るべく全て計画しました。

 ・姉妹JC推進に関する運動苫小牧JCはネーピアJCと9年間に及ぶ姉妹交流、NZ協会のバックアッ   プ、ミス派遣によるポートフェスティバルの開催計画、両都市間の親善パイプ役などが認められた事で   す。
 ・魅力あるJCづくりに関する運動八戸との永きにわたるチビッコアイスホッケーの交流がJC相互理解と  信頼を築き、ラブ八運動を学ぶなど魅力あるJCづくりに貢献したことが認められた事です。

 この富山全国大会に於いて、史上初の日本JC・地区協、最優秀賞・優秀賞のダブル褒賞の快挙となりました。大津山理事長以下先輩諸兄メンバー全員の地道なJC運動が認められたのです。この卒業年次は、会員171名の100%を行い、全員参加を達成し、メンバー全員一丸となり出来たのです。最後に全国大会が富山で行われた時、卒業生に夫婦で参加を呼びかけました。宇奈月温泉での苫小牧ナイトは、卒業予定者8名が参加、内7名が婦人同伴、毎年の行事になっている卒業年次全国大会の婦人同伴は、大成功でした。ちなみに、出席者は、大津山・玉川・大友・壬生・吉本・佐々木・伊部の各カップルに、三原君が宇奈月温泉に当日の夜に到着!“玉ちゃん!約束守ったぞ〜”その言葉が今でも心に残っています。ナイトおおいに盛り上がり、JC活動で家を留守がちだったメンバーが、奥さん孝行した全国大会でした。
 JC入会で個性豊かな多くの人達と出逢い、私自身成長させてもらいました。私達は自らの認知度・知名度を高め、実行力をつけて飛び立っていくのです。つまり、時代に適応して、生き抜く活力なのです。有意義なJC活動、今でもかけがえのない仲間達と付き合っています。JC活動で学んだ経験と仲間達の友情と信頼を大切にしています。

*尚、なつかしいメンバーの顔や姿がたくさん出ているアルバムを寄贈いたします。
玉 川 健 仁


<LOM運営委員会>玉川先輩ありがとうございます。尚、写真を寄贈していただいた中から今回の日記の日本JC・地区協のダブル褒章のお写真を掲載致します。
事務局に寄贈されたアルバムを保管しておりますので、ご覧になりたい方は是非事務局までお越しください♪

http://toma-jc-obdiary.up.seesaa.net/image/EFBCAFEFBCA2E4BC9AE593A1E58699E79C9FEFBC88E78E89E5B79DE58588E8BCA9EFBC89-thumbnail2.jpg?1400122042951
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2011年10月06日

OB徒然日記第31号

1993年卒業 佐藤典正先輩

 最初に、東日本大震災で被災された方々にはお見舞いを又、お亡くなりになられた方々にはお悔やみを申し上げさせていただきます。さて私、佐藤典正は平成5年後期に入会し、6年と6カ月在籍させていただきましたが当事はバブル期真只中でした。最初は親しい人も少なく、余り楽しく有りませんでしたが慣れるにつれ楽しさがまして、時代が良かったせいも有り又JC綱領が何かも忘れ、ネオン街が明るくなるような時間まで、委員会メンバー等と飲み明かしていました。さて私が思う中学駅伝が出来た経緯についてですが、以前の教育文化委員会の核となる事業は、千葉県の市原市より100人程度の子供たちが苫小牧の地で、地元の子供たちと合同でサマーキャンプを行うお手伝い的対応が大きく占めていました。千葉の子供たちには選抜するほど好評でしたが、地元の子供たちには不人気で集めるのが大変で地元の中学校を廻ってお願いに歩いた事を覚えています。つまり、地元に不評なことをこのまま続けるか、はたまたやめるのかという議論が有り最終的に縮小しようという結論に至ったという記憶が今でも残っています。
 当事、丹治秀寛理事長、青地洋一担当副理事長、中田秀樹室長の下、街づくり推進室教育文化委員会委員長を受ける事になり、すぐ組織作りに取り掛かりまりました。副委員長にはいままで一緒にやってきた仲間で、現在市議会議員を勤めている桜井忠さんと、後々に理事長もこなした村木透さんに引き受けていただく事になり、幹事には吉原成昌さんの3名を最初にお願い致しました。委員会事業としては縮小したサマーキャンプの対応と、今回新たな事業を委員会で模索して欲しいと言う事になり、バレーはどうか、相撲がどう等色々候補が上った中で、中学生を対象に駅伝をやろうという事になりました。早速駅伝事業に向かい、スタートしてみると事業の大きさに自分でもびっくり、どうして組み立てて行くかもわからない中まず市の青少年課へ伺い、当事担当の今田さんにお会いして色々なアドバイスを頂き、まずは走ってくれる生徒を預かっている中学校の校長会が、春先開かれるのでその場でお願いしてはどうか、との話しが有り参加依頼に伺い何とかなりそうだという感触を得ました。その後走るコースの許可も必要、長い沿道の警備をどうするのか、警察、町内会が協力していただけるのか、タイムは陸競さん、莫大な費用はどうするのか、理事会では激論が交わされ危うく、ケンカにまで発展するような場面が何度も有りました。又、人前で話すのが下手、苦手、そんな中、理事会には毎回雄弁な2人の副委員長、桜井忠さんと村木透さん時には吉原幹事と全員で望み理事会又、この事業に対する臨時理事会が定刻で終わった記憶がほとんど有りませんでした。2人の副委員長さんがほとんど私に代わって答弁、説明をしていただき私は頷いているだけでした。やっと理事会の承認も得て、本格的にロム事業4室で振り分け事業を行う事にこぎ着き無事、事業が成功する事が出来ました。これもひとえに担当事業を抱えながらも、お手伝いしていただいたロムメンバーの皆様と、当委員会のメンバーの絶大なる御協力に感謝し、簡単な文章ですが改めて当事御世話になりました方々にお礼を申し上げて終わりにしたいと思います。



[事務局より]
佐藤典正先輩、ご寄稿ありがとうございました。4室合同のロム事業の中学駅伝、大変参考になります。

次回は佐藤先輩からご紹介頂きました吉原成昌先輩です。お楽しみに。
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2011年08月11日

OB徒然日記第30号

1994年卒業 櫻井 忠先輩

佐藤幸博君から原稿依頼を受けました。5年前あの事件により皆様に大変嫌な思いをさせご迷惑をおかけしました。JC現役、OBの方々にも心からお詫びを申し上げなければなりません。その後私はJCとも距離を置いておりましたが同期卒業の佐藤君の「もうそろそろ復帰しろよ」との友情だと解釈し依頼を引き受けることにしました。私がJCのHPに原稿を寄せることに賛否もあろうかと思いますが、何卒お許しをいただきたいと思います。

 さて、私はJC現役当時さして重要な役をお引き受けした訳ではありませんが、1987年後期に入会し1994年卒業までの7年半例会欠席は一度(講演のためイレギュラーな例会で)だけで、卒業時には銀のスプーンがティーカップセットにも余る程になりました(当時年間例会100%者にはスプーンが1本渡されていた)。また担当した事業は記録的集客をした港祭りの迷路(高橋徹哉委員長)、伝説の蔦森山林でのサマーキャンプ(中田吉信委員長)、アルテンオープン事業の国際ジュニアサミットとサマーキャンプ(桂田行康委員長)、体育協会主催で現在に至る中学駅伝(佐藤典正委員長)など肉体系委員長のもと体力で乗り切ってきたことは今でも懐かしく思い出されます。特に中学駅伝の大変さは筆舌に尽くせぬものでしたがそれは後の筆者に委ねることといたします。ただやはり自分の思い入れとしてはたった一度だけ政策系委員長を担ったことを述べさせていただきたいと思います。

 1993年という年は田中正彦理事長のもと地区大会の主管、40周年事業と大変な年でありました。ともすれば委員会活動は地区大会の担当事業が主体となるような感もありました。そのような中で「くにづくり推進室教育政策委員会」では理事長から「いじめの問題に取り組んでほしい」との要請を蹴り、「いじめは今全市的に各種団体が取り組んでいます、しかしどの団体も取り組んでいない『このままでは子供たちを大学に通わせられない』という問題に取り組ませてほしい」と談判し了解を取り付けた。次に街づくり推進室の石塚担当副理事長と桂田室長、同室の委員長らにお願いして室予算のほとんどを配分してもらった。何故なら大学生とその親にアンケート調査を実施し、さらにはその結果を冊子にまとめ印刷するためには室予算を等分していたのでは足りません。
 市内全高校を回り趣旨を説明し、大学2年生の卒業名簿を教えていただいた。今のように個人情報保護法下では難しかったと思うが当時は何とかご理解していただけた。その名簿に従って350名の父母にアンケートを送り158件の回答を得、同時に138名の学生の住所を知ることができました。次にこの138名の大学生にアンケートを送り半月後の締め切りまでに74名からの回答があったがこの種のアンケートとしてはかなり高回答率で関心の高さが伺われた。
 このアンケートでわかった実態は家庭では@生活が苦しく(69%)。Aその原因は教育費が高い(91.7%)。Bそれを解消するためには授業料、家賃、生活費の低減が必要。Cかけている教育費は自宅通学の場合平均100万円、自宅外の場合200万円。D公立と私立では172万円と225万円で53万円の差があった。E東京近郊と地方では253万円と186万円で67万円の差があった。F3分の1以上の家庭で夫婦共働きになったなどの変化があった。G職場からの援助はほとんどない。H奨学金は14%の方が平均年60万円程度貰っている。I両親の収入は平均750万円、これは勤労者調査に比べかなり高い(所得の低い家庭では進学を諦めているせいではないか)。
 学生では@親の負担を考え通学は徒歩や自転車で努力している(54%)。A交通費、生活費、仕送りともに全国平均を下回っている(親の負担を考慮している)。B68.9%の学生がアルバイトをしている。理由は生活の維持41.1%、生活のゆとり12.5%、旅行8.9%、ファッション8.9%(全国平均は順番に19.0%、26.2%、26.5%、17.7%)とゆとりよりも不足をカバーしている。
 これを踏まえて7つの提言をした。国に対しては@国立大学を距離比で再配置する。A総合大学の一部学部の地方移転。B税金の就学費控除。道・市に対してはC公設又は公営寮の設置。D大学誘致、又は公設民営大学の誘致。E大学誘致基金の金利による奨学金制度の充実。企業に対してはF社内融資制度の充実です。特にEは委員会のメンバーではないが市議会議員の遠藤連君(当時)の議会での質問を採用させていただいた。
 その後1995年私が市議会議員となったときの初めての一般質問はこの報告書を下敷きにして質問をした。その際打ち合わせにきた市の担当者は「このような発想は市職員ではできませんねえ」と感心されました。そして一般質問が終わった直後にJC事務局で顔を合わせた田中正彦君は「JCで提言した問題が議会で正式に取り上げられるなんて思わなかったなあ。」と実に嬉しそうな顔をしていた。その田中君も今は泉下の人となってしまったことは残念でならない。

 当時の委員会メンバーはスリープもいたので全員の名前をここに記すことは憚れますが、皆に心から感謝しております。特に就学ローンのシミュレーションは銀行マンの磯部君でなければできない綿密なものであったし、就学費の最も大きな部分を占める家賃の分析は今成君の「お家賃」に対する執念の賜物でした。JCはいろいろな個性がいる。その個性を発揮し、影響を与え合いながら磨き合い、成長できることが魅力だと思います。いかに人と絡み合いぶつかり合うことが大切、アクティブに活動してこそのJCです。中国の諺に「有縁千里来相會、無縁対面不相識」(縁が有れば千里離れていても出会いがあり、縁が無ければ目の前にいても気付くことも無い)というのがあります。
 私はこのJCで多くの貴重な出会いを与えていただきました。その中でも今も深く付合っていただいている佐藤典正君にペンを引き継ぎたいと思います。彼は青少年の委員長になった時私を副委員長に指名し、「駅伝をやろう」と無謀な提案をしてきました。しかしとうとうそれをやり遂げた馬力は彼の理ではなく、熱と情のリーダーシップです。決して文章がうまい訳ではないけれどきっと活字の間から滲み出る彼の人間性が後輩の道標になることと確信しております。



[事務局より]
櫻井忠先輩、ご寄稿ありがとうございました。政策系委員長の際のエピソード、我々現役メンバーにとって大変参考になります。

次回は櫻井先輩からご紹介頂きました佐藤典正先輩です。お楽しみに





posted by OB日記 at 11:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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