本日記は、2008年度、苫小牧青年会議所設立55周年を記念して企画いたしました。

 2008年度の基本方針にある、「人とのつながり」という言葉、そして、理事長方針にある、「古きを温ね、新しきを知る」という温故知新の精神をもってJC活動をしていきたいという願いが込められています。OB諸氏の皆様方に青年会議所への思いを熱く語っていただくきます。

 本日記はリレー形式で、OB会長の柏木先輩からはじまり、次の投稿者をご紹介いただきリレーしていきます。
メンバーの皆様、先輩達からのメッセージを胸にJC活動に邁進していきましょう !!

2011年08月11日

OB徒然日記第30号

1994年卒業 櫻井 忠先輩

佐藤幸博君から原稿依頼を受けました。5年前あの事件により皆様に大変嫌な思いをさせご迷惑をおかけしました。JC現役、OBの方々にも心からお詫びを申し上げなければなりません。その後私はJCとも距離を置いておりましたが同期卒業の佐藤君の「もうそろそろ復帰しろよ」との友情だと解釈し依頼を引き受けることにしました。私がJCのHPに原稿を寄せることに賛否もあろうかと思いますが、何卒お許しをいただきたいと思います。

 さて、私はJC現役当時さして重要な役をお引き受けした訳ではありませんが、1987年後期に入会し1994年卒業までの7年半例会欠席は一度(講演のためイレギュラーな例会で)だけで、卒業時には銀のスプーンがティーカップセットにも余る程になりました(当時年間例会100%者にはスプーンが1本渡されていた)。また担当した事業は記録的集客をした港祭りの迷路(高橋徹哉委員長)、伝説の蔦森山林でのサマーキャンプ(中田吉信委員長)、アルテンオープン事業の国際ジュニアサミットとサマーキャンプ(桂田行康委員長)、体育協会主催で現在に至る中学駅伝(佐藤典正委員長)など肉体系委員長のもと体力で乗り切ってきたことは今でも懐かしく思い出されます。特に中学駅伝の大変さは筆舌に尽くせぬものでしたがそれは後の筆者に委ねることといたします。ただやはり自分の思い入れとしてはたった一度だけ政策系委員長を担ったことを述べさせていただきたいと思います。

 1993年という年は田中正彦理事長のもと地区大会の主管、40周年事業と大変な年でありました。ともすれば委員会活動は地区大会の担当事業が主体となるような感もありました。そのような中で「くにづくり推進室教育政策委員会」では理事長から「いじめの問題に取り組んでほしい」との要請を蹴り、「いじめは今全市的に各種団体が取り組んでいます、しかしどの団体も取り組んでいない『このままでは子供たちを大学に通わせられない』という問題に取り組ませてほしい」と談判し了解を取り付けた。次に街づくり推進室の石塚担当副理事長と桂田室長、同室の委員長らにお願いして室予算のほとんどを配分してもらった。何故なら大学生とその親にアンケート調査を実施し、さらにはその結果を冊子にまとめ印刷するためには室予算を等分していたのでは足りません。
 市内全高校を回り趣旨を説明し、大学2年生の卒業名簿を教えていただいた。今のように個人情報保護法下では難しかったと思うが当時は何とかご理解していただけた。その名簿に従って350名の父母にアンケートを送り158件の回答を得、同時に138名の学生の住所を知ることができました。次にこの138名の大学生にアンケートを送り半月後の締め切りまでに74名からの回答があったがこの種のアンケートとしてはかなり高回答率で関心の高さが伺われた。
 このアンケートでわかった実態は家庭では@生活が苦しく(69%)。Aその原因は教育費が高い(91.7%)。Bそれを解消するためには授業料、家賃、生活費の低減が必要。Cかけている教育費は自宅通学の場合平均100万円、自宅外の場合200万円。D公立と私立では172万円と225万円で53万円の差があった。E東京近郊と地方では253万円と186万円で67万円の差があった。F3分の1以上の家庭で夫婦共働きになったなどの変化があった。G職場からの援助はほとんどない。H奨学金は14%の方が平均年60万円程度貰っている。I両親の収入は平均750万円、これは勤労者調査に比べかなり高い(所得の低い家庭では進学を諦めているせいではないか)。
 学生では@親の負担を考え通学は徒歩や自転車で努力している(54%)。A交通費、生活費、仕送りともに全国平均を下回っている(親の負担を考慮している)。B68.9%の学生がアルバイトをしている。理由は生活の維持41.1%、生活のゆとり12.5%、旅行8.9%、ファッション8.9%(全国平均は順番に19.0%、26.2%、26.5%、17.7%)とゆとりよりも不足をカバーしている。
 これを踏まえて7つの提言をした。国に対しては@国立大学を距離比で再配置する。A総合大学の一部学部の地方移転。B税金の就学費控除。道・市に対してはC公設又は公営寮の設置。D大学誘致、又は公設民営大学の誘致。E大学誘致基金の金利による奨学金制度の充実。企業に対してはF社内融資制度の充実です。特にEは委員会のメンバーではないが市議会議員の遠藤連君(当時)の議会での質問を採用させていただいた。
 その後1995年私が市議会議員となったときの初めての一般質問はこの報告書を下敷きにして質問をした。その際打ち合わせにきた市の担当者は「このような発想は市職員ではできませんねえ」と感心されました。そして一般質問が終わった直後にJC事務局で顔を合わせた田中正彦君は「JCで提言した問題が議会で正式に取り上げられるなんて思わなかったなあ。」と実に嬉しそうな顔をしていた。その田中君も今は泉下の人となってしまったことは残念でならない。

 当時の委員会メンバーはスリープもいたので全員の名前をここに記すことは憚れますが、皆に心から感謝しております。特に就学ローンのシミュレーションは銀行マンの磯部君でなければできない綿密なものであったし、就学費の最も大きな部分を占める家賃の分析は今成君の「お家賃」に対する執念の賜物でした。JCはいろいろな個性がいる。その個性を発揮し、影響を与え合いながら磨き合い、成長できることが魅力だと思います。いかに人と絡み合いぶつかり合うことが大切、アクティブに活動してこそのJCです。中国の諺に「有縁千里来相會、無縁対面不相識」(縁が有れば千里離れていても出会いがあり、縁が無ければ目の前にいても気付くことも無い)というのがあります。
 私はこのJCで多くの貴重な出会いを与えていただきました。その中でも今も深く付合っていただいている佐藤典正君にペンを引き継ぎたいと思います。彼は青少年の委員長になった時私を副委員長に指名し、「駅伝をやろう」と無謀な提案をしてきました。しかしとうとうそれをやり遂げた馬力は彼の理ではなく、熱と情のリーダーシップです。決して文章がうまい訳ではないけれどきっと活字の間から滲み出る彼の人間性が後輩の道標になることと確信しております。



[事務局より]
櫻井忠先輩、ご寄稿ありがとうございました。政策系委員長の際のエピソード、我々現役メンバーにとって大変参考になります。

次回は櫻井先輩からご紹介頂きました佐藤典正先輩です。お楽しみに





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2011年07月15日

OB徒然日記第29号

1994年卒業 佐藤幸博先輩

 徒然日記の執筆を頼みますとのFAXが桜田氏から入り、さて、この日記はと依頼者本人に聞くと、JCのホームページを見た方が早いとの事、早速ホームページを見ると、OB諸兄それぞれにJC活動を楽しんで来たんだなと改めて感心致しました。
 そこで、徒然の意味を今一度確認しておこうと辞書を引くと、する事がなく退屈な事とある、徒然とは関係ないが横の行には、つれないとある、意味は、気にとめなくて平気だと書かれている。その瞬間、ほっとして、今日に至り執筆が大変遅くなった事を、担当者に素直にお詫び申し上げます。

 11年間青年会議所に在籍させて頂き、在籍の半分は道南ブロック協議会に出向していました。1986年のアカデミー室委員に始まり、総務室役員、LD情報室室長、アカデミー室塾長、アカデミー情報室室長となり、意に反し出向していました。さすがに、ここまでブロックに出むくと、他LOMの役員から「何回目ですか、ブロック好きですね」と何とも、意味深なやさしい言葉を耳にする様になり、大きなお世話だと心の中で思いながらも又、それはそれで良しと自分に言い聞かせてJC活動をしていました。
1987年の時の道南ブロック協議会は、岩倉博文さんがブロック会長、運営専務に渇雷v仁の社長の不川智詞先輩が努めました。その時々の協議会の善し悪しは、会長然り、運営専務の腕次第で決まる所が何と言っても大きく、この頃からかもっと前からかも知れませんが、苫小牧から、日本青年会議所会頭、若しくは、副会頭に岩倉博文さんを輩出すると言う大きな目的がありました。その目的を成し遂げるには、道南ブロックの会長の任期中に岩倉さんに汚点を残す事は出来ないとの思いで、不川先輩は、岩倉会長を支えに支えて、ブロック協議会を運営していました。この時JCと言う不思議な心意気がある事を知りました。
 JC独特の慣習、行動、何とも言えない居心地の良さを、JCマンと言われる、誰もが身に覚えがあると思います。楽しいJC活動が出来る喜び、そしてJCを謳歌するのも、それぞれ出来る土台がある事を忘れないでもらいたい。そこの所を忘れるがために、言われていた事があった。「明るいJC、暗い家族、そして会社は忍耐」この不の部分の認識の無さが人生の岐路になる事もある。家に帰った時テーブルの上に離婚届けの用紙があったと言う本末転倒にならぬ様、自分を戒めてJC活動に邁進して下さい。

 最後に、自分事ですけれども、長年JCに染まってこれたのは、家族の中でも一番の理解者であった、亡き妻のおかげでした。それもJCでなく、JC会員だった自分を見守ってくれていた事に、あらためて、今になって、本当に今になって、しみじみと思います。生前、一言、一言です、礼を言っておきたかったです。ありったけの、ありったけの愛情をこめて「やえこさん ありがとう」と。

次回の筆者をご紹介します。
私の友人の一人で現在、市議会議員に返り咲き市政に情熱を注ぎこんでいる、桜井忠OBです。人生の浮き、沈みを(本人が重いからではなく)甘受し公僕として今頑張っています。


[事務局より]
佐藤幸博先輩、ご寄稿ありがとうございました。岩倉先輩、不川先輩とのブロック協議会でのエピソード大変参考になります。

次回は佐藤先輩からご紹介頂きました桜井先輩です。お楽しみに。



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2011年02月15日

OB徒然日記第28号

1992年卒業 櫻田泰清

「はじめに」
 1983年(S58)後期入会、1992年(H4)卒業の櫻田です。
役職、経歴を省き、ここでは、入会時を含めたエピソードをお話いたします。

「入会にあたって」
 私の推薦者は若林社長(スマイル保険)と田村雄二さん(市議会議員)です。中学・高校の同期、若林君が先代のもとを訪れ、JCに誘ってくれました。先代櫻田清は、肝が据わった人間で、即刻決定。社命にて入会を決断してくれました。お陰で私は、時間の制限もなく(つまり、自己管理のもとに)JC活動を展開できました。今思えば、先代の決断に感謝。

「JCで学んだこと、ほんの一例ですが」
a) 組織運営するためのフォーマットや運用のスキルアップになりました。〜例会、委員会、理事会は絶好の勉強の場でした。
b) 出向して
・ 地区協議会に2会程度出向
道内のLOMの実情と各地のJCマンとのネットワークの構築ができ、情報が入り易くなりました。
・ 最終年度は阿部明弘理事長の配慮により「日本」に出向これまた、日本は広い。思考スケールの違いと全国のLOMの活動展開の差異を身近に感じることができました。もちろん、仕事のスキルアップにもなりました。

「卒業式に臨んで」
 1992年12月、10年間在籍したJCを卒業。卒業式で演奏した、ビートルズのand I love her。卒業証書をいただきながらも、もっと後輩のために役立つJC活動はできなかったのか、JCで得た知識をきちんと伝えたかった、との自責の念に・・・。
 そして、10年間ひとりで3人の子育てをして貰った妻に、ただただ感謝の一日でした。

「おわりに」
30代で、できるJC活動を全うできたことに納得しつつも今後も微力ですがJCには関わって行きたいと考えてます。
 街づくりに欠かせない団体、それは、やはり“JC”でしょう。


 次回の筆者をご紹介いたします。
私が総務委員長時代の副委員長、後に丹治理事長年代の副理事長を努めた、通称「髭のさとうさん」こと、アート印刷の佐藤幸博氏です。現在は、ライオンズの会員です。


{事務局より}
櫻田先輩、ご寄稿ありがとう御座いました。入会から卒業までの10年間の活動、大変参考になります。

次回は櫻田先輩よりご紹介頂きました佐藤幸博先輩です。お楽しみに。
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2010年12月15日

OB徒然日記第27号

1996年卒業 山口志郎先輩

今回、このOB徒然日記の執筆依頼を小川総務委員長から頂いたのは、積年のカミサンへの贖罪(?)を兼ねた夫婦での旅行から帰国した翌日のことでした。行き先は、オーストラリア、ケアンズ・シドニー。シドニーはシーフードのうまいところで、特産のフレッシュオイスターを食べながら随分昔のことを思い出していました。
当時の理事長は岩倉圭彦先輩、副理事長に故田中正彦さん、私は国際委員会委員長、担当室長は高橋徹哉氏、その他数名のJCメンバーで、苫小牧市とニュージーランド、ネーピア市との姉妹都市締結10周年記念のネーピア市訪問団に参加しておりました。出発当日、日本酒の大好きな副理事長の「おい、向こうにいったらしばらく飲めないな」という発言がきっかけで、成田空港のすし屋に数名で入り、出発直前まで鯵のたたきをつまみながら、銚子を5本10本と開け、かなり酔っているのを、出発前の緊張でぴりぴりしていそうな理事長に隠しながら(ばれていたとは思います)9時間を越えるフライトに乗り込みました。
ネーピアに入り、ネーピアJCとの交流を含む公式行事を(あまり覚えていませんが)たんたんとこなしながら、夜は歓迎行事などでワインを飲み、それなりの成果を上げ、無事ネーピアを後にしました。
その後、訪問団はなぜかオーストラリア・シドニーへ寄って各グループに分かれ観光を楽しむこととなっていました。(オーストラリア・ニュージーランド間は結構長旅なんですがね)シドニー着後、我々JC現役グループはホテルの理事長の部屋に集まり、何をするか謀議(?)を重ね、その後市街に繰り出しレストランに入ると、メニューにしばらく飲めないと言っていた日本酒があるではないですか!かなり高かったのですが、みんなでフレッシュオイスターをつまみにしながらしたたか飲ませていただきました。
シドニーでの最終日、市長主催による(管理組合も共催だったかも)ご苦労さんパーティーがあり、そこでも日本酒が供されました。私にとってはどうも日本にいる時よりも日本酒を飲んだような気がします
JC現役のころはよく酒を飲みました。楽しい酒が多かったと思います。特にNZに一緒にいった仲間や同期の仲間、先輩・後輩などいい思い出がたくさんあります。現役の皆さんも楽しい酒が飲めるような活躍・活動をされることを、お祈りします。


山口先輩有難う御座いました。
海外での活動は想像するより大変だったのでしょうね。私達も日々の活動に邁進し、仲間や先輩方々と美味しいお酒が飲めるように活動して参ります。
山口先輩貴重なお話有難う御座いました。
次回OB徒然日記第28号は、1992年卒業櫻田泰清先輩です。
お楽しみに!
posted by OB日記 at 19:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

OB徒然日記第26号

1995年卒業 山川資先輩

JCを卒業してから15年を過ぎようとしている。青年会議所には12年在籍させていただいたが、遠い過去の出来事のように想える。
振り返ると、我々現役時代には、青年会議所が、まるでこれが仕事であるようなメンバーがたくさんおりました。当時「青少年サマーキャンプ」(千葉県市原青年会議所と共催)という事業があり、自分が副委員長になった年の委員長は半年間ほとんど会社には出社していなかったようでした、社長からは「キャンプが終わるまで会社に来るな」とまで言われていたそうです。もう一人の副委員長はキャンプ終了後、その過酷な事業のせいか、入院する有様でした。事業規模も1000万超の規模という大型事業でした。委員会メンバーの自腹もかなりの金額(委員長は電話代月額10万円を超えていたはず・・・)になったものでした。
何故かこの事業が苫小牧青年会議所の看板事業でした。何故このような事業が始まったか、どうして千葉からフェリーを貸しきって苫小牧港に来苫するのか、団塊の世代の先輩に聞かなくては解らない不思議な事業でした。
時代の流れとともにこの事業は廃止となり多くの会員が内心「ほっとした」ものです。何回もこの委員会に配属となった会員も多々いたようで、本当にご苦労様でした。幸いにも私は、一回限りの配属で逃げ切れました。
 
自分が現役メンバーの時代はまさに「バブル」の時代。今とは別世界であったかもしれません。
当時はこのような時代が来ることなど予測していたメンバーはほとんどいなかったと思います。未来は明るい未来が待ち受けているとみんなが信じていたと思います。
現役メンバーの皆さんは、日本がどんどん地盤沈下して行く時代に青春時代を生きてきて、どのようなマインドで活動しているか、個人的にはとても興味深く感じております。
社会がどんどん縮小し、格差が拡大していく世の中で、青年会議所運動も厳しい環境におかれているものと推察しますが、低迷する時代の現役会員諸兄の活動に敬意を表すものであります。
青年会議所運動は地域社会が無縁社会になっていくなかで、地域社会を下支えする組織としてますます、その存在感を発揮できる団体であることは間違いなく、その重要性は高まっていると感じております。40歳までの限られた中で、青年会議所において、築き上げられた経験と友情は生涯、各自の財産となっていくことは、間違いありません。

 長い歴史のなかで、日本社会が豊な時代であったことは、ほんの一時期で、歴史的に見ればこれが当たり前と理解すべきでしょう。どうか現役メンバーにおかれては、この閉塞感に負けずに、苫小牧という地域社会に青年会議所という存在感を示して欲しいと、心から期待して終わりとします。


山川先輩有難う御座いました
こういう時代だからこそ、私達青年会議所メンバーが先頭に立ち、地域を変えていく活動をして行かなくてはいけないと思います。その為にも、市民の皆様に理解される活動を多く発信していく必要があると感じました。
山川先輩貴重なお話有難う御座いました。
次回OB徒然日記第27号は、1996年卒業山口志郎先輩です。
お楽しみに!!





posted by OB日記 at 11:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする