本日記は、2008年度、苫小牧青年会議所設立55周年を記念して企画いたしました。

 2008年度の基本方針にある、「人とのつながり」という言葉、そして、理事長方針にある、「古きを温ね、新しきを知る」という温故知新の精神をもってJC活動をしていきたいという願いが込められています。OB諸氏の皆様方に青年会議所への思いを熱く語っていただくきます。

 本日記はリレー形式で、OB会長の柏木先輩からはじまり、次の投稿者をご紹介いただきリレーしていきます。
メンバーの皆様、先輩達からのメッセージを胸にJC活動に邁進していきましょう !!

2011年07月15日

OB徒然日記第29号

1994年卒業 佐藤幸博先輩

 徒然日記の執筆を頼みますとのFAXが桜田氏から入り、さて、この日記はと依頼者本人に聞くと、JCのホームページを見た方が早いとの事、早速ホームページを見ると、OB諸兄それぞれにJC活動を楽しんで来たんだなと改めて感心致しました。
 そこで、徒然の意味を今一度確認しておこうと辞書を引くと、する事がなく退屈な事とある、徒然とは関係ないが横の行には、つれないとある、意味は、気にとめなくて平気だと書かれている。その瞬間、ほっとして、今日に至り執筆が大変遅くなった事を、担当者に素直にお詫び申し上げます。

 11年間青年会議所に在籍させて頂き、在籍の半分は道南ブロック協議会に出向していました。1986年のアカデミー室委員に始まり、総務室役員、LD情報室室長、アカデミー室塾長、アカデミー情報室室長となり、意に反し出向していました。さすがに、ここまでブロックに出むくと、他LOMの役員から「何回目ですか、ブロック好きですね」と何とも、意味深なやさしい言葉を耳にする様になり、大きなお世話だと心の中で思いながらも又、それはそれで良しと自分に言い聞かせてJC活動をしていました。
1987年の時の道南ブロック協議会は、岩倉博文さんがブロック会長、運営専務に渇雷v仁の社長の不川智詞先輩が努めました。その時々の協議会の善し悪しは、会長然り、運営専務の腕次第で決まる所が何と言っても大きく、この頃からかもっと前からかも知れませんが、苫小牧から、日本青年会議所会頭、若しくは、副会頭に岩倉博文さんを輩出すると言う大きな目的がありました。その目的を成し遂げるには、道南ブロックの会長の任期中に岩倉さんに汚点を残す事は出来ないとの思いで、不川先輩は、岩倉会長を支えに支えて、ブロック協議会を運営していました。この時JCと言う不思議な心意気がある事を知りました。
 JC独特の慣習、行動、何とも言えない居心地の良さを、JCマンと言われる、誰もが身に覚えがあると思います。楽しいJC活動が出来る喜び、そしてJCを謳歌するのも、それぞれ出来る土台がある事を忘れないでもらいたい。そこの所を忘れるがために、言われていた事があった。「明るいJC、暗い家族、そして会社は忍耐」この不の部分の認識の無さが人生の岐路になる事もある。家に帰った時テーブルの上に離婚届けの用紙があったと言う本末転倒にならぬ様、自分を戒めてJC活動に邁進して下さい。

 最後に、自分事ですけれども、長年JCに染まってこれたのは、家族の中でも一番の理解者であった、亡き妻のおかげでした。それもJCでなく、JC会員だった自分を見守ってくれていた事に、あらためて、今になって、本当に今になって、しみじみと思います。生前、一言、一言です、礼を言っておきたかったです。ありったけの、ありったけの愛情をこめて「やえこさん ありがとう」と。

次回の筆者をご紹介します。
私の友人の一人で現在、市議会議員に返り咲き市政に情熱を注ぎこんでいる、桜井忠OBです。人生の浮き、沈みを(本人が重いからではなく)甘受し公僕として今頑張っています。


[事務局より]
佐藤幸博先輩、ご寄稿ありがとうございました。岩倉先輩、不川先輩とのブロック協議会でのエピソード大変参考になります。

次回は佐藤先輩からご紹介頂きました桜井先輩です。お楽しみに。



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2011年02月15日

OB徒然日記第28号

1992年卒業 櫻田泰清

「はじめに」
 1983年(S58)後期入会、1992年(H4)卒業の櫻田です。
役職、経歴を省き、ここでは、入会時を含めたエピソードをお話いたします。

「入会にあたって」
 私の推薦者は若林社長(スマイル保険)と田村雄二さん(市議会議員)です。中学・高校の同期、若林君が先代のもとを訪れ、JCに誘ってくれました。先代櫻田清は、肝が据わった人間で、即刻決定。社命にて入会を決断してくれました。お陰で私は、時間の制限もなく(つまり、自己管理のもとに)JC活動を展開できました。今思えば、先代の決断に感謝。

「JCで学んだこと、ほんの一例ですが」
a) 組織運営するためのフォーマットや運用のスキルアップになりました。〜例会、委員会、理事会は絶好の勉強の場でした。
b) 出向して
・ 地区協議会に2会程度出向
道内のLOMの実情と各地のJCマンとのネットワークの構築ができ、情報が入り易くなりました。
・ 最終年度は阿部明弘理事長の配慮により「日本」に出向これまた、日本は広い。思考スケールの違いと全国のLOMの活動展開の差異を身近に感じることができました。もちろん、仕事のスキルアップにもなりました。

「卒業式に臨んで」
 1992年12月、10年間在籍したJCを卒業。卒業式で演奏した、ビートルズのand I love her。卒業証書をいただきながらも、もっと後輩のために役立つJC活動はできなかったのか、JCで得た知識をきちんと伝えたかった、との自責の念に・・・。
 そして、10年間ひとりで3人の子育てをして貰った妻に、ただただ感謝の一日でした。

「おわりに」
30代で、できるJC活動を全うできたことに納得しつつも今後も微力ですがJCには関わって行きたいと考えてます。
 街づくりに欠かせない団体、それは、やはり“JC”でしょう。


 次回の筆者をご紹介いたします。
私が総務委員長時代の副委員長、後に丹治理事長年代の副理事長を努めた、通称「髭のさとうさん」こと、アート印刷の佐藤幸博氏です。現在は、ライオンズの会員です。


{事務局より}
櫻田先輩、ご寄稿ありがとう御座いました。入会から卒業までの10年間の活動、大変参考になります。

次回は櫻田先輩よりご紹介頂きました佐藤幸博先輩です。お楽しみに。
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2010年12月15日

OB徒然日記第27号

1996年卒業 山口志郎先輩

今回、このOB徒然日記の執筆依頼を小川総務委員長から頂いたのは、積年のカミサンへの贖罪(?)を兼ねた夫婦での旅行から帰国した翌日のことでした。行き先は、オーストラリア、ケアンズ・シドニー。シドニーはシーフードのうまいところで、特産のフレッシュオイスターを食べながら随分昔のことを思い出していました。
当時の理事長は岩倉圭彦先輩、副理事長に故田中正彦さん、私は国際委員会委員長、担当室長は高橋徹哉氏、その他数名のJCメンバーで、苫小牧市とニュージーランド、ネーピア市との姉妹都市締結10周年記念のネーピア市訪問団に参加しておりました。出発当日、日本酒の大好きな副理事長の「おい、向こうにいったらしばらく飲めないな」という発言がきっかけで、成田空港のすし屋に数名で入り、出発直前まで鯵のたたきをつまみながら、銚子を5本10本と開け、かなり酔っているのを、出発前の緊張でぴりぴりしていそうな理事長に隠しながら(ばれていたとは思います)9時間を越えるフライトに乗り込みました。
ネーピアに入り、ネーピアJCとの交流を含む公式行事を(あまり覚えていませんが)たんたんとこなしながら、夜は歓迎行事などでワインを飲み、それなりの成果を上げ、無事ネーピアを後にしました。
その後、訪問団はなぜかオーストラリア・シドニーへ寄って各グループに分かれ観光を楽しむこととなっていました。(オーストラリア・ニュージーランド間は結構長旅なんですがね)シドニー着後、我々JC現役グループはホテルの理事長の部屋に集まり、何をするか謀議(?)を重ね、その後市街に繰り出しレストランに入ると、メニューにしばらく飲めないと言っていた日本酒があるではないですか!かなり高かったのですが、みんなでフレッシュオイスターをつまみにしながらしたたか飲ませていただきました。
シドニーでの最終日、市長主催による(管理組合も共催だったかも)ご苦労さんパーティーがあり、そこでも日本酒が供されました。私にとってはどうも日本にいる時よりも日本酒を飲んだような気がします
JC現役のころはよく酒を飲みました。楽しい酒が多かったと思います。特にNZに一緒にいった仲間や同期の仲間、先輩・後輩などいい思い出がたくさんあります。現役の皆さんも楽しい酒が飲めるような活躍・活動をされることを、お祈りします。


山口先輩有難う御座いました。
海外での活動は想像するより大変だったのでしょうね。私達も日々の活動に邁進し、仲間や先輩方々と美味しいお酒が飲めるように活動して参ります。
山口先輩貴重なお話有難う御座いました。
次回OB徒然日記第28号は、1992年卒業櫻田泰清先輩です。
お楽しみに!
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2010年11月19日

OB徒然日記第26号

1995年卒業 山川資先輩

JCを卒業してから15年を過ぎようとしている。青年会議所には12年在籍させていただいたが、遠い過去の出来事のように想える。
振り返ると、我々現役時代には、青年会議所が、まるでこれが仕事であるようなメンバーがたくさんおりました。当時「青少年サマーキャンプ」(千葉県市原青年会議所と共催)という事業があり、自分が副委員長になった年の委員長は半年間ほとんど会社には出社していなかったようでした、社長からは「キャンプが終わるまで会社に来るな」とまで言われていたそうです。もう一人の副委員長はキャンプ終了後、その過酷な事業のせいか、入院する有様でした。事業規模も1000万超の規模という大型事業でした。委員会メンバーの自腹もかなりの金額(委員長は電話代月額10万円を超えていたはず・・・)になったものでした。
何故かこの事業が苫小牧青年会議所の看板事業でした。何故このような事業が始まったか、どうして千葉からフェリーを貸しきって苫小牧港に来苫するのか、団塊の世代の先輩に聞かなくては解らない不思議な事業でした。
時代の流れとともにこの事業は廃止となり多くの会員が内心「ほっとした」ものです。何回もこの委員会に配属となった会員も多々いたようで、本当にご苦労様でした。幸いにも私は、一回限りの配属で逃げ切れました。
 
自分が現役メンバーの時代はまさに「バブル」の時代。今とは別世界であったかもしれません。
当時はこのような時代が来ることなど予測していたメンバーはほとんどいなかったと思います。未来は明るい未来が待ち受けているとみんなが信じていたと思います。
現役メンバーの皆さんは、日本がどんどん地盤沈下して行く時代に青春時代を生きてきて、どのようなマインドで活動しているか、個人的にはとても興味深く感じております。
社会がどんどん縮小し、格差が拡大していく世の中で、青年会議所運動も厳しい環境におかれているものと推察しますが、低迷する時代の現役会員諸兄の活動に敬意を表すものであります。
青年会議所運動は地域社会が無縁社会になっていくなかで、地域社会を下支えする組織としてますます、その存在感を発揮できる団体であることは間違いなく、その重要性は高まっていると感じております。40歳までの限られた中で、青年会議所において、築き上げられた経験と友情は生涯、各自の財産となっていくことは、間違いありません。

 長い歴史のなかで、日本社会が豊な時代であったことは、ほんの一時期で、歴史的に見ればこれが当たり前と理解すべきでしょう。どうか現役メンバーにおかれては、この閉塞感に負けずに、苫小牧という地域社会に青年会議所という存在感を示して欲しいと、心から期待して終わりとします。


山川先輩有難う御座いました
こういう時代だからこそ、私達青年会議所メンバーが先頭に立ち、地域を変えていく活動をして行かなくてはいけないと思います。その為にも、市民の皆様に理解される活動を多く発信していく必要があると感じました。
山川先輩貴重なお話有難う御座いました。
次回OB徒然日記第27号は、1996年卒業山口志郎先輩です。
お楽しみに!!





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2010年10月10日

OB徒然日記第25号

1998年卒業 堤浩二先輩

 私たち卒業同期「五八会」のメンバーが数多く投稿しているので嬉しく思います。今年のOB交流会後の同期会でも片隅で話題になっていました。
さて、「世の人は我をなんとも云わば云え、我が成すことは我のみぞ知る」…龍馬の言葉です。
 ワ(・)ガ(・)ママ(・・)なJCマンに例えると、もっともらしく聞こえませんか。JCの常識は社会の非常識と揶揄されることもありますが、若い時にしか経験できないことは“魂が熱いうちに”一生懸命に取り組んだ方が良いと思います。第二の青春を謳歌するという意味でも、多少の失敗は許されるのではないでしょうか。 
 平成二年に私が入会した当時、サラリーマン会員は増えつつありましたが、やはり、ほとんどが企業の二代目の方だったと思います。現市長の岩倉博文先輩が最終年度を迎えられた年でしたから、個性豊かで強烈なメンバーが数多くいらっしゃいました。自称・小心者の私は、未知の世界の異様さに肩身を狭くしていたように記憶しています。
 9年間在籍をさせていただきましたので、色々な思い出がありますし、楽しく過ごせました。後輩の方々はご存知だと思いますが、あまり良い印象は持たれていないのでは…と今更ながら反省をいたしております。現在は52歳になり、落ち着きも取り戻しつつありますので、ご安心ください。
…と言うことで、JCを語るのは飲み会(・・・)の時だけで、真摯な活動はほとんどしておりませんが、平成4年に初めて委員長を務めた時の話をさせていただきます。 
 「環境」というキーワードが唱えられて久しい時代ですが、今から18年前の平成4年に日本JCで「もったいない運動」が提唱され、ロムでも「環境政策委員会」が設置されました。当時はゴミ問題からリサイクルへと関心が徐々に高まっていく時期でしたので、改めて検証してみることにしました。
 そこで、道内で先進的な取り組みを実践していた伊達市を訪問、勉強させていただきました。後日、アドバイザーであった室蘭工大の教授の指導の下、苫小牧の実態を調査するため市民アンケートを作成、委員会メンバーの若林利和先輩にお願いし「ヤクルトおばさん」に配布・回収をしてもらい、取りまとめをしました。近隣市町のリサイクル施設をメンバーと視察に行き、最初の例会は報告会と同時に行政へ「リサイクルセンター建設」の必要性を提言しようと結論付けをいたしました。手づくり例会で、メンバー一人一人が役割を持って発表、華々しさには欠けましたが何とか形になったと思います。
 また、「とまこまい港まつり」では、事業と政策のコラボということで、JCブースの横に担当副理事長の成田幸隆先輩と室長の原田光弘先輩の協力で、コンポスト等を設置、リサイクルについての関心を高めようと、市民に向け啓蒙をしました。
 締めくくりの例会は、公開でパネルディスカッションを開催、ポスターを作成して、広く市民に参加を呼びかけ、行政・消費者協会の代表にご出席いただき、委員会の提言について意見を伺いました。
 直接リンクしているとは思えませんが、その後、沼ノ端に「リサイクルプラザ」が建設されたり、今年の4月からは廃プラの分別が開始されるなど、当時からその必要性を訴えていた委員会は、結構先進的な活動をしていたのではと自負しています。
 一年間務められたのも、お目付役として目を光らせてくれた菊池宏治先輩や委員会メンバーのお陰と感謝しています。
 決して自慢ではないのですが、この年の最優秀委員会賞でした。賞には多少縁がありまして、最優秀新人賞と最終年度は監事でありながら最優秀PINK賞?もいただきました。(ご想像にお任せしますが、これは青木俊憲君の配慮かと思われます。)
 ちょっと余談になりますが、この年の夏に政策系の委員長として「サマコン」に出席することになりました。あまり大きな声では言えませんが、当初の計画通り、会議へ参加する意志は全くなく、食べ歩きの旅を満喫して来ました。自他共に認める?食通の福士徳彦先輩と一緒に「浅草のまさる」「荻窪ラーメン」「野田岩のうなぎ」など、美味しいもの三昧の毎日でした。その上、巨人戦も観戦しちゃいました。今思うと、至高の思い出なのかもしれません。
 最後になりましたが、多くのことを体験させていただいたJCを無事卒業できましたのは、周りにいてくれた仲間の支えがあってこそだと強く思います。好き嫌いは勿論ありますが、JCという枠組みだけで先輩・後輩と言い合える繋がりをこれからも大切にしたいと思います。
 今では、すっかりお馴染みなりました卒業同期「五八会」のメンバーと一緒に、出来る限り行事に出席いたしますので、引き続きご慈愛の程よろしくお願いいたします。
 末筆ではありますが、閉塞感漂う厳しい時代を新たな視点で切り拓く、現役諸氏の更なるご活躍を心より期待申し上げます。


堤先輩有難う御座いました。
今から18年も前からリサイクル、ごみの分別に関しての提言を行っていたのですね。私達も苫小牧の先のことを見据えてこれからの活動を行っていこうと思います。貴重なお話有難う御座いました。
次回のOB徒然日記第26号は1995年卒業 山川資先輩です。
お楽しみに!





posted by OB日記 at 01:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする